同修の間の「情」を取り除く
文/中国大陸大法弟子 山石
(明慧日本)我々の住んでいるところは町から何十キロも離れていますので、行き来がとても不便です。離れている同修が新唐人テレビの受信機を取り付けてから、手順を書いた紙を残し、詳しく説明してくれました。思いがけないことに、後でそれは随分助かったのです。
少し前、ある同修(甲)から手伝ってほしいと言われたので、私は(甲)の家へ行って、受信機に専用の機械を取り付けてみましたが、結局受信できませんでした。しかし、わざわざ来てもらいとても気がすまないと思ったその同修は、地元の特産であるりんごや梨をお土産に渡してくれました。法に則って真剣に考えず、いわゆる「自然の成り行きに任せる」という考えを持っていたので、同修の「好意」をうけて、持ち帰りました。
それからまた暫く経って、同修(乙)が設備機を手に入れたので、また取り付けを頼まれました。色々頑張った結果、受信に成功しました。そこで、同修たちはみんな大喜びで、私が帰るときに、「子どもに食べさせてください」と言って、また果物をくれました。しかし、家に帰ってから、私は良い気分になれませんでした。一体何処がいけないのかすぐ悟れませんでした。
後で法の学習を通して、私は答えを見つけることができました。(『転法輪』<返修と借功>)の中で「だんだんとちょっとした記念品を受け取るようになり、そのうち大きな物までもらうようになり、しまいにはくれるものが少ないと承知しなくなります。最後にはとうとう『物をたくさんもらっても仕方がないから、金をくれ』と言い出し、その上、金が少なければ機嫌が悪くなります」という内容を読んだ時、何がいけないのかがはっと分かりました。そして、これからは必ず気をつけようと自分に言い聞かせました。暫くして、また同じことに遭いました。
同修(丙)が設備機を購入したので、先ず自分で取り付けてみて、だめだったら、手伝ってほしいと言われました。これは師父が与えてくださった反省のチャンスで、後できっと手伝うことになるに違いないと私は思いました。
果たして、2日後に同修(乙)から電話をもらって、私は手伝いに行きました。今度も順調に取り付けることができました。終わってから同修(丙)から自宅で昼食を御馳走すると言われたので、これから用事がある(確かにその日に用事があった)し、まだ食事の時間になっていないから、招待するならば、帰るが、そうでなかったら、これから少し交流したいと私は答えました。
すると、みんなと一緒に交流することになり、私は自分の考えを述べました。同修(乙)も(『転法輪』)の中で「皆さんは功を伝える時、名利を求めず、無償で人々に奉仕することです」と師父の話されている部分を引用して、実は同じ問題に気付いたと言いました。また最初に迷惑をかけるから、私に来てほしくないと思ったのは「心配」する心があり、それに対して、来てほしくないと私は聞いて「不満」に思い、実はそこに自己顕示、歓喜心、嫉妬心が潜んでいたためだと私は言いました。今度のことを通して、普段なかなか気が付かなった心を知ることが出来ました。我々は全員が心から師父に感謝しています。
不適当なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。
2008年1月27日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/20/170721.html)
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