フリージャーナリスト・李東洪さんは再び連行され迫害された
(明慧日本)法輪功修煉者・李東洪さんは2007年9月20日、貴陽市頭橋海馬沖の借家で、頭橋役場に勤める大家・劉子全(金)と周小紅に告発されて、再度、悪党人員に連行され、不法に貴陽市雲岩区百花山留置場に拘禁された。現在、李さんは貴陽市百花山留置場で、貴陽国安・韋涛らに迫害され、体が衰弱してしまった。その後、悪名高い貴州省武装警察総隊の368病院の麻薬中毒回復所に移送され、引き続き迫害を受けた。
李東洪さんは、貴州省大方県大方郡出身。フリージャーナリストで才気煥発な人だ。作品はかつて国内外の文学刊行物に掲載されたことがある。1993年より、李さんは、法輪大法を修煉し始めた。
1999年7・20以後、李さんは大方県公安局に不法に家財を差し押さえられ、大法書籍とテレビ、VCDプレーヤーなど私財を奪い取られ、損失は1万元ぐらいになった。李さんの仕事は固定しておらず、文章を書き、アルバイトで生計を立てていた。家財を差し押さえられ一層生活が困難になった。
1999年末、李さんは、大方県公安局に偽の罪名で不法に1年間拘禁された。その後、開廷審理で無罪釈放されたが、取られた私財は現在も返してくれない。
貴州大方県公安局の副局長・張進は気が狂ったように李さんを迫害した。後に、悪の報いにあって、咽頭癌を患って数万元かけても治療できず、ついに貴州畢節市で死んだ。
李さんは大方県留置場より釈放されて2カ月後、再度、大方県公安局に連行され不法に3年の労働教養を受け、中八農場で残酷な迫害を強いられた。中八労働教養所の警官は、法輪功修煉者を1人ずつ監禁し、李さんを不法に警備大隊に拘禁した。そこはいわゆる獄中の獄で、警官は麻薬患者を利用して監視、殴打させた。4平米の独房の中は、セメントのベッドが2平米を占め、トイレは1平米、残りの1平米は李さんが立ったままの居場所になっている。
李さんは2人の麻薬患者に監視された。麻薬患者はセメントベッドに順番に眠ることができ、交代で李さんを苦しめた。李さんは毎日24時間連続して立たされ、寝ることを許さず、腰を下ろして休むことさえも許されなかった。また、立ったまま目を閉じると麻薬患者からめった打ちにされた。時には同じ中八の警官に、この独房から引っ張り出されて、色々な残虐な拷問によって迫害された。法輪功修煉者に対する迫害は毎回、1〜2週間続き、甚だしきに至っては1カ月続くこともある。
警官は、法輪功修煉者を迫害する手段は「百種類」以上も知っていると自慢げに言った。その手口は想像を超えて、残忍そのものである。たとえば、メッタ打ち。大便、痰を食べさせる。強烈な光を目にあてる。真冬に裸で立たせる。真夏に厚い綿入りの服を着せる。修煉者をひっぱって走らせる。ある法輪功修煉者の両足は引き摺られて皮がむけ地面が血まみれになったこともある。冬は冷水をかける。熱湯で顔をやけどさせる。布に固形物を包んで殴打する。ヘロインの匂いを嗅がせることもある。悪辣な警官・黎計明、明洪、楊仁寿らは公然と「何人死んでもたいしたことはない、我々には死人に対してノルマがある」と叫んだ。かつて李さんの迫害に参与したことがある中八労働教養所の悪人には潘忠、楊仁寿、黄先躍などがいる。
李さんは2003年末、中八労働教養所を出た後、郷里でいつも悪党人員に私生活をかき乱されるため、しかたなく家を離れ放浪生活を強いられた。2007年9月20日、李さんは貴陽頭橋の海馬沖の借家で再度、連行された。現在、李さんは、悪名高い貴州省武装警察総隊の368病院の麻薬中毒回復所に監禁され、引き続き迫害されている。この病院はかつて法輪功修煉者・鄭定和さんが迫害されたところで、当時、亡くなった鄭さんの様子はとても惨烈で悲惨だったという。
私達はすべての正義な有志に、みんなで全力を尽くして法輪功修煉者・李東洪さんを救援するように呼びかける。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
2008年1月30日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/1/29/171325.html)
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