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民主運動家・唐伯橋氏:神韻の公演は世界を善に導く(写真)

(明慧日本)有名な民主運動家・唐伯橋氏は、神韻の公演をすでに何度も観賞したが、ニューヨークのラジオシティー・ミュージックホールで行なわれた2008年新唐人華人新年祝賀祭に強く心を打たれ、感動したという。唐氏は、神韻の公演はレベルや出演者の修養がとても高く、公演が広げることで世界を善に導くと称賛した。

唐伯橋氏(右2)と友人の皆さん

 唐伯橋氏は「2時間半に及ぶ公演は、まさに美の集大成と言える。人類の道徳、中華民族の伝統的な気概を体現している。公演は、さまざまな方面において、非常に深い内容を表現していると思う。これは、ただ美的センスがあり、何日かダンスを学び、歌を数日練習しただけで達するものではない。芸術はある程度のレベルに達した後さらに向上するには、技能の訓練だけではなく、芸術家は絶えず修養を高めることで初めて高い次元に到達できる」と語った。

 唐氏は、「神韻芸術団のアーティスト達は演出の中で、彼らの修養の要素を取り入れているため、公演のレベルは非常に高い次元にまで達することができた。これには、中国が巨大な経費を費やして行った『春節晩会』、ブロードウェイの他の公演はとても及ばない。神韻のアーティスト達が表現した奥深い内在の美、純潔さと強くて穏やかな自信に匹敵できる他の公演はない」と表明した。

 唐氏は、芸術は神が人に与えたものだ、芸術家の創作インスピレーションも神から受けたもので、人間が神と通じ合えば高い境地に達すると表明した。「私は今日、戚暁春さんの二胡の演奏を聞いた時に、この感銘を強く受けた。二胡という楽器は『悲しみ』を表現することに優れている。歴史上では、『二泉映月』が二胡の『悲しみ』を完璧に表現した。しかし私は、戚暁春さんの演奏した『苦度』の境地は、『二泉映月』をはるかに超えていると思う」。

 「『二泉映月』が表現したのは人生の苦難、人生の無念さで、『苦度』の境地ははるかに『二泉映月』を越えており、絶望と違う前向きな精神の境地であり、本当に人を激励することができる。特に『苦度』の最終部分は、深く感動した。この深い感動は一種の善と慈悲で、この感動により心を打たれ、善に導かれるだろう」。

 唐氏は『覚醒』の演目が最も感動したという。「邪悪な迫害に直面して、人々は最後に目覚めて立ち上がり、凶悪な勢力を抑制し、正義を支持する姿を見て、私は涙を流さんばかりだった。その中から正義の力は無限であると感じた。あのスタンガンを振るった狂暴な悪漢は、善良の力の前では無力だ」。

 唐氏は、神韻の公演は社会に対してきわめて深遠な影響を与えると評価した。「私は、この公演は中国共産党の党文化を徹底的に瓦解させるものと思っている。そしてますます多くの人を感化させ、人はどのような生活を選ぶべきか、何を求めるべきかを教え、さらに全世界を善に導くと信じている」。

 2008年2月5日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/2/4/171781.html