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河北省:第四刑務所は計画的に法輪功修煉者・楊暁潔さんを殺害(写真)

生前の楊暁潔さん

(明慧日本)2006年1月26日(旧暦正月の2日前)、石家庄市の法輪功修煉者・楊暁潔さんは河北省第四刑務所の計画的・組織的な迫害により殺された。この2年間、家族はずっと上訴し、電話をかけたり、手紙を書いたり、弁護士事務所を尋ねたりして、さまざまな所を訪ねて訴えているが、まだ何の返事も得られず、犯人も法律で裁かれていない。

楊暁潔さんが殺された時の写真

楊暁潔さんの足の部分の写真

 楊暁潔さんはかつて、「中国青年報」北方事務所に勤務していた。仕事はとても真面目で、誰にでもとても優しく、誰が見てもとてもよい人だった。家庭でもやさしい父だった。1996年から法輪功の修煉をはじめ、心身共に法輪功の恩恵を受け、仕事にも積極的で、日々の努力により、職場から優れた成績を上げたことによる賞を受賞した。しかし、中国共産党が法輪功を迫害し始めてから、2001年9月28日夜、石家庄市開達住民区で妻の劉潤玲さんと共に警察に連行され、暴行を受けた。2002年9月9日、夫婦ともに橋西区裁判所から不法な判決を受けた。中共の裁判所は国の法律を無視し、ただ「真・善・忍」の信念を堅持したという理由で、懲役11年の重刑を下した。2003年7月15日から2005年12月28日の間は迫害で体が衰弱し、病気治療のために釈放されていたが、その後、楊暁潔さんはずっと河北省第四刑務所に監禁され、妻の劉潤玲さんは今も河北省女子刑務所に監禁されている。

 楊暁潔さんが河北省第四刑務所に強制連行された時、体に病気はなく、とても健康だった。しかし、刑務所に監禁されてから、刑務所は楊暁潔さんを「転向させにくい対象」として扱い、さまざまな拷問を加え、長年狭い牢屋に1人で監禁し、体罰、虐待、暴行、長期間寝かせない、精神的な洗脳、プレッシャーをかけ、「転向」させようとしたがすべては失敗に終わった。警察はさらに受刑者に指示し、楊さんに暴行を加えた。残虐な迫害により、楊さんの脊椎が損傷し、酷い痛みに襲われた。1年間歩けず、3カ月間もベッドで寝たままの状態でいた。しかし、刑務所は家族に病状(迫害の状況)を隠し続け、家族の面会も拒否し続けた。それによって、いち早く適切な治療を受けることができなかった。

 家族は1年間ずっと面会を要求していたが、刑務所側は拒否し続けた。しかし、2005年12月28日、家族が楊さんに荷物を届けに行った時、楊さんは迫害で体が不自由になっていて、3カ月もベッドに寝たままの状態に陥っていたことを知った。刑務所側に強く要求し、12日後にやっと病気治療のための釈放に成功した。非常に元気な青年が歩けない状態になるまで迫害されたことに家族はどうしても納得できず、弁護士を雇い、家族は刑務所を告訴した。しかし、刑務所側は暴行と虐待を否認し続けた。刑務所側は逆に自分は何もしていないのに、明慧ネットで名前が取り上げられたとして、責任を追及するなど恥知らずの虚言を作り出した。

楊暁潔さんと、娘の楊文婧(セイ)さん
楊暁潔さんと妻と娘

 2008年1月22日、家族は再び河北省第四刑務所を訪ねた。刑務所の政治管理処長の岳玉海(元第四刑務所教育処副処長)は、楊暁潔さんの父の目の前で我々は何もしなかったと暴行を否認した。また、転向しなければ家族との面会をさせないということはなかったと面会を拒否し続けたことも否認し、虚言を吐き続けた。さらに、楊暁潔さんが罹ったのは癌であり、癌は暴行で罹るものではないと暴言を吐いた。

 楊暁潔さんの70歳の両親はずっと雨の中でも風の中でも、面会日に必ず息子と会うためにずっと刑務所に通い続けていた。しかし、刑務所側はずっと楊暁潔さんは元気だとか、たくさん食事をとっているなどと嘘をつき、ずっと死亡するまで両親を騙し続けていた。

 2008年2月9日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/2/8/172029.html