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「集団学法」時の心の大切さ


 文/中国黒龍江省チチハル市の大法弟子

(明慧日本)最近、私は集団学法に参加して、同修と互いに交流し精進した中で、自分を高めると同時にいくつかの問題点があることを発見しました。

 学法の時、思想の中の妨害を排除するべきことは、誰でも理解できていると思います。しかし、時には一部の妨害は心性から由来しています。私達の思想に自分の観念、執着が反映しています。これら心性の雑念が学法の中に混入し直ちに発見できなければ、「法」を学ぶことに対して障害が出てくると思います。同修と交流したいと思いますので、大法に符合しない部分は慈悲のご指摘をお願い致します。

 一、字を抜かしたり加えたりすることについて

 同修が「法」を読む時、字を抜かしたり、あるいは字を加えたりするのを聞くと私の気持ちはとても辛くなります。「法」を勝手に変えたりしてはいけないと思い、不満を持ちながら同修に指摘してきましたが、何の改善も見えません。だんだん自分の心の中に同修が気に入らないことに私は気づきました。その後、言い方を変えて、善意を持って彼女の誤読を指摘し、よく読めた時には彼女を励ましました。師父は説法の中で、「なぜ皆さんが繰り返して『転法輪』を読む時に、とてもとても次元の高い異なる境地にある理を読み取り、悟ることができるのでしょうか? つまり、各文字の背後に無数の重なりに重なった佛、道、神がおり、数え切れないほどいるのです」。(『北米第一回法会での説法』1998年3月29、30日)を引用しながら、「あなたが字を抜かしたり加えたりすると、法の本来の意味を変えることになるのでは・・?」とおっしゃいました。彼女が間違って読んだ時、私は心の中で、師父に、「彼女ができるだけ早く精進できるようにしてください」とお願いしています。実は、読む人が字を抜かしたり加えたりすると、聞く側は心の中でもう一度読み直さなければならず、同修を妨害することになるのです。しかし、誤読の人は、「私はあまりにも焦った」、「字がはっきりと見えなかった」、「私は読む回数がまだ少ない」などと言い訳し弁解します。実は主な原因は、「主意識」がはっきりしていないために、妨害要素の支配を排除しようとせず、また、心を「法」の上に置いていないのです。「法」を理解するにはどうすればよいでしょうか? ある同修は誤読する度に、「誤読したのは自分自身ではない業力だ」と心の中で自分に注意しているそうです。

 二、他人のために学法する

 私はかつて数十枚の小さな付箋の付いた師父の経文を見たことがあります。それはある母親が娘のために、師父の「法」を基にして娘に自分自身の問題点を探し出せるために付けたのです。母親は自分が学法しているのではなく、師父の「法」で他の人と照らし合わせているのです。見た目には娘を高めるためですが、実はこの母親は他人のために学法していると言えます。この問題は実はとても深刻だと思います。私達が「法」を読む時、本当に「法」に同化し、内に向けて探す願望があれば、「法」の内包が初めて現れてくるのです。—「求めずして得る」なのです。

 三、同修に正念を強める

 同修は何をするにも一つの全体ですから、お互いに円容することこそ、私達のエネルギーの場をつなぐことができます。学法の時も自分の考えに注意しなければなりません。例えば自分は流暢に、速く読めるという顕示心が出る、同修が「法」を尊重しないと気に食わない、自分がよく読めないことにコンプレックスを感じる、このようなことはいずれも集団学法を妨害することになります。私達は同修にも自分にも「正念」を強くし、すべての雑念を排除して、本当に「法」の中に溶け込まなければなりません。

 最近、私は「法」を読む時できるだけ穏やかな声で読みます。すると「法」の内包をよく理解できることに気づきました。 

 師父が私達に与えてくださった、「集団学法」や「相互交流」は、我々が自分を高める根本的な「証」です。

 全ての同修が、大法弟子と共に高められる機会を大切にし、修煉を通して、衆生を救い済度できることを望んでいます。

 2008年2月10日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/2/8/171975.html