日本明慧
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人を救う障害を取り除く


文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)長い間、自分が救った人は少ないと感じていました。真相を聞いても反応を示さず、邪党組織の脱退に同意する人はなおさら少ないのです。最初のころは、私は外に向けて探し、自分の住んでいる大都会では、人々は現実を重んじているため、毒害されているので、真相を受け入れにくいと思っていました。確かに、実際はこういう状況です。しかし、大法弟子として、問題に遭うたびに内に向けて探し、本当に自分をよく修めるようにして初めて、真相を伝え、衆生を救い済度することに良い効果を収められるのです。

 最近、師父の『法輪大法—オーストラリアの修煉者に対して法を説く』を学ぶ時、一部の大法弟子は真相を伝える時、世の人々が受け入れないと、もう放っておこう、地獄に落ちたいなら、落ちてよいと思い、慈悲でなくなってしまいました。本当に慈悲の表現としては、「一人の生命が救われないのを目にしたら、心が辛く思うべき」と師父は教えてくださいました。師父の説法に照らして考えると、私は自分にもこのような問題があると気づくようになりました。真相を伝える時、慈悲心が足りず、いつも常人の「情」を帯びているのです。大法弟子を迫害する警察や悪人に対して、恨みを持ち、自分が私(し)の心や他の観念を持っているため、真相を受け入れてもらえず、納得してもらえない人々に対して、寛容に対処できず、いつもイライラし、冷たく扱っていました。そして、人々を救うのを断念してしまうのです。人々の頭の中にある「善」ではない毒害されている邪悪な要素を解体することが出来ないため、彼らも正しく選択できないのです。人の「情」を取り除いて初めて、それに取って代わる慈悲が生まれ本当の「善」の力により、衆生を救うことが出来るのです。

 もう一つの障害は自分の修煉不足、例えば、恐怖心、執着心、認識不足などがあると思います。大法弟子の「正しい念」と「正しい行い」を通してこの世に巨大な「正の場」を形成することが出来るのです。この場は世の人々に影響を与え、あらゆる邪悪な要素を解体し、衆生を救うことが出来るのです。自分自身の執着が邪悪に隙に付け入られてしまい、迫害されることによって、周りの人々に、大法のすばらしさを見せることが出来ないばかりでなく、かえって、恐れる心や正しくない考えを強めることになりかねません。例えば、或る同修は不法に拘禁され、迫害を受けたため、一時出歩くことができなくなりました。その同修は自分の迫害を衆生に知らせることで真相を伝えようと思っていました。しかし、恐れる心のある人々に対しては、わかってもらえるかも知れませんが、邪党への恐れが一層ひどくなるのです。その同修も旧勢力の要素に隙に付け入られ、この魔難を強め、症状をもっとひどくさせました。もし我々大法弟子が皆「正しい念」と「正しい行い」を持って、迫害を受けないようにすれば、大法の威力とすばらしさを世の人々に見せることが出来るのです。世の人々が邪悪への恐れをなくすことにより、もっと衆生を済度しやすくなるのです。

 世の人々を救い済度することについての考えですが、大法弟子は内にむけて探すことで、初めて問題の根元を見つけ解決することが出来ると私は思います。それに対して、ひたすら外に向けて探していては、問題を解決することが出来ません。不足に気が付いたとき、執着を取り除けたということをはっきり感じとれなくても、少なくとも問題の所在が分かり、どう対処すれば良いのか分かるようになったのです。

 真相を伝え、衆生を救い済度することにおいて今後は、更によくやれるに違いないと思います。

 2008年2月17日


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/2/2/171559.html