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救われる基準を論ずる


 文/中国河北省大法弟子

(明慧日本)「世の人々が救われる条件について」の同修の交流文章を読んで、自分の考えを述べたいと思います。大法弟子にとって目下一番重要なことは、衆生を救い済度することなので、一体どんな条件が揃えば救われるのかについて、我々は先ず正しく悟るべきであり、表面の文字を断片的に理解してはいけないと思います。『法輪大法—オーストラリアの修煉者に対して法を説く』の中で師父は、つまり中共邪党と法輪功に一線を引くものであり、脱退しても良いし法輪功がすばらしいと言っても良いから、それは皆法輪功側に立ち将来を管理ことになるのだという意味の説法をされました。(大体の意味、この説法に対しての自分の理解を話したいだけで、法を乱すつもりは全然なく、参考にしてほしいのです。)

 私は悟ったのですが、「中共邪党を脱退する」と同時に、「大法に反対しない」という要求に符合しなければならないのです。我々が真相を伝える目的は世の人々に法輪功の側(正義の側、未来がある)に立たせ、邪党を脱退させる(邪悪の側、淘汰される方)ことです。だから、中共を脱退したのに、「法輪功が良くない」という考えを持っているならば、それはやはり邪悪の方に立つことになり、本当に救われていないのです。ですから、このような人に対して、私たちは、また引き続き根気よく、細かく真相を伝え本当に法輪功に対するマイナスの考えを変えさせなければなりません。このようにして初めてその人が救われることになるのです。

 『九評』が発表される前に、我々が真相を伝える主な内容は世の人々に大法の真相を分からせ、大法に反対させないようにすることです。というのは、大法が良くないという考えを持っている人は、決まって淘汰されることになり、それは疑う余地のないことです。それでは、今「法輪功はすばらしい」と認めるが、中共の邪党組織から脱退しようとしない人はどうでしょうか。それも救われる側に入るのでしょうか。

 師父は説法の中で幾度も三退のことについておっしゃいました。例えば、『米国西部国際法会での説法』の中に次の内容があります。

 弟子:多くの常人は「ずいぶん前から党費と団費を払っておらず、とっくに党員ではないので、脱党の形式を取る必要はない」と言っています。どのようにこの問題を見るべきなのでしょうか?

 師:やはり同じ問題です。これは入党したときの形式の問題だけではなく、本当に人間に邪教の烙印を付け、それらの籍に人間を入れたのです。 この烙印を消去すべきです。この烙印はこの世の人類の形式に現れることなく、人間の体内にある要素も作用しています。人間は血で染められた旗に向かってひどい誓いをし、命まで預けたので、声明を発表せずに、ただ心の中で脱退すると思っているだけで効果があると思うのでしょうか? 実はこの悪党は本当に極めて邪悪であり、人々に血で染められた旗に向かわせ、ひどい誓いをさせ、命を邪党に捧げ、一生を悪党がやろうとする事に捧げるように要求しており、古から今日までここまであくどい政党や人類の組織などはありません」。

 以上の説法から見れば、中共邪党に加入した人は必ずはっきりと脱退を声明し、獣の印を消去しなければならないと思います。

 しかし、特別な状況もあると思います。現実と結び付けてみれば、法輪功への名誉回復を呼びかける人、例えば、安徽省政治協議会の常務委員・汪日兆鈞は共産党に加入していないとはいえ、共青団や少先隊にはたぶん加入したことがあるだろうと思います。それから、山東省の孔強も公然と「上海組」や江氏集団を懲らしめ、法輪功の冤罪をそそぐことを呼びかけました。しかし、彼の公開状の中で自分が共産党員である云々と言っているのです。勿論、これから彼らが脱退するかどうかは今定論できません。しかし、彼らは確かに圧力に耐えながら法輪功のために呼びかけており、そして、程度は違いますが、迫害も受けているのです。だから、彼らはきっとそれなりの良い報いがあり、よい将来を迎えられると思います。

 人が救われる最低条件はただ中共組織を脱退し、法輪功に反対しないことではないと思います。もちろん、真相を伝えることを通して、世の人が法輪功を支持する態度を表明し、それに三退を認めるとしたら、それは更に良いことであり、そして、もし更に世の人が法を得るようになるとすれば、それは何より良いことなのです。しかし、ますます差し迫ってきた時間と救われるのを待っている衆生を前にして、人を救うことの効率もよく考えなければなりません。だから、我々も師父の要求をよく理解すべきです。確かに衆生を救い済度することにおいて、邪党を解体することはもっと助けになります。しかし、それは別に法輪功を支持するだけではまだいけない、どうしても脱退しなければならないというわけではないと思います。

 『2005年サンフランシスコでの説法』の中に次の内容があります。

 「弟子:アメリカにいる西洋の学習者は脱党する必要があるのでしょうか?

 師:これは重要なことではありません。もちろん、たくさんの学習者は脱党しており、旧東ヨーロッパの国々の学習者は脱党しています。彼らは大法弟子ですから、彼ら自身が脱党するかどうかは重要ではありません。しかし彼らの脱党は中共邪党の心理に大きな影響を及ぼしています」。

 私は悟ったのですが、「脱党」は、はっきりと大法を支持し、大法がすばらしいと言い、大法のために積極的に働きかけた人にとっては、ただの「形」に過ぎないのではないのでしょうか。もしかすると、神は既に彼らの獣の印を消去してあげたかもしれません。だから、神は彼らを構っており、彼らもそれにより救われることになるのです。

 以上は自分の浅薄な認識ですが、不適当なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。

 2008年2月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/29/171302.html