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自分を放下し、積極的に交流することが溝を無くす鍵

(明慧日本)私の周りの数人の同修が他の数人の同修との間に溝ができて既に何年か経っており、その原因は相手のグループの天目が開いている同修との交流が頻繁で、彼らが悟った多くのことが法に基づいておらず、真相伝えと衆生済度にも精進していないと私たちが思ったからです。天目が開いた同修が来るたびに私は警戒しました「同修よ、どうか誤って悟らないように」と。一緒に交流するときも、私がまず発言をし、真相伝えと三つの脱退について絶えず自分の経験を話し、いかにも自分だけが正しいという姿勢をとっていました。相手から異なる意見が出ると、私は必ず「これは大法に基づいているのか?」と、コメントをします。時には不平を抱いたまま解散し、内心では相手が益々法から遠ざかっているのではと思いこんでいました。

 この状態が数年続いた後、地区全体の大法弟子の協調及び交流に支障をきたす様になりました。外部の同修からも、私たちが異なる認識と意見を持っており、どちらも相手を説得できない状態であることが分かりました。こうして月日が経ち、その溝も益々深くなってきました。同修の間では、よく「誰々がまた何かを言ったとか、誰々がまた何か新しいことを始めたとか」などの話をし、地区全体はどうしても一体になれませんでした。「大法を修練していれば、師父は必ず彼らを変えて下さるでしょう。彼らは必ず好転するでしょう」と、私は思っていました。

 私は煉功をしていて、時に師父のお写真の前で同修たちが正法の過程に追いついていないのではないかと思い、涙を流しました。「師父、これらの同修たちはもう終わりではありませんか? 正法が終わると、彼らはどうなるのでしょう? どうしましょう?」とこのような思いが募る一方で、師父に手紙を書いて、明慧ネットに託しました。このようにして相手を変えようとばかり考えており、溝も益々深くなってきました。

 師父の『オーストラリア修煉者に対する講法』を聞いて、私は大変なショックを受けました。師父の説法に照らし合わせてみると私は心が痛くなり、「他の同修との開きが大きいのではないか?」と悟った私は、この心を取り除き現状を変える時期が来たのだと分かりました。そこで厳粛に内に向かって探し、この数年間の同修に対する恨みと、それによる文句はすべて相手を図ろうとしていて、相手の修練を助けているだけであり、自らは修煉していないのだと分かりました。大法を守ることを口実にして、自分自身は向上を拒んでいました。そのうち天目が開いた同修がまた来て、約2、30人が集まりました。正法の道において正しく歩むように自分たちを修正するよい機会だと思い、私は自分がどうやって真相伝えをし、三つの脱退を推し進めたかについて沢山話しました。そのとき何十人かの同修がいたが、誰も何も言いませんでした。そこで私は「あなたたちが何も話せないのは、なにもできていないからでは?」と思っていました。このように唯我独尊のような歓喜心と顕示心の強い状態でした。

 この状態はよいのでしょうか? 天に上って神や仏と争うのでしょうか? 冷静に内に向かって探して見ると、肝心なポイントを見出しました「自分を証明している。自分を売り込んでいる。自分を強調している。自分を顕示している。なんという危険な状態でしょうか」私はこれに気が付くと、一気に沢山の事が分かり、向上できたような気がしました。発正念のときに私が一念を加えました「自分と同修との壁を無くす。自分にある悪い要素を徹底的に解体させる。正月前後には、再度外国での師父の講法を学び、また沢山悟りました。師父は「いつも人の不足ばかりを見ていて、自分を見ることを重視しておらず、相手はよく修煉できましたが、あなたはどうなるのでしょうか? 師父はあなたの修煉が良くなることを望んでいるのではありませんか? なぜいつも、意見を受け入れずに、他の人ばかりを見ているのでしょうか? なぜ、内に向けて修めず、自分を探さないのでしょか?」「誰でも自分の道を歩むし、私たちは自分の観念を強制的に人に加えてはいけません。問題が生じたときに誰が正しいか、誰が正しくないかを論じるのではなく、問題があったときには皆が互いに助け合い、方法を見つけて解決するのです」(ロサンゼルス市での説法)

 絶えずに自分の悪いところを探っていくと、思想の境地がかなり突破でき、心性も大きく向上できました。それまで気にしていたほかの同修の、あのこと、このことが、段々と薄れていき、文句も益々少なくなりました。周りの同修が再度誰かの不足を言及するとき、私はすぐに「自分を修めるのです。必ず自分を修めましょう。相手のよいところをもっと見るべきです。相手が常人の場合、私たちは慈悲心を持って接しないといけないのに、同修に対してはなお更です」。 こうした私の向上は周りの同修にも影響を与えたようです。

 自分を放下できると、私は次のステップに向かって邁進してみました「彼らと交流します。真に善意を持って、彼らと積極的に話そうと以前から思っていたことで、今、踏み込む時期が来たと思いました。このことについては師父の要求に達しないといけません。もうこれ以上師父に心配をかけてはいけません。そう思うと、私はまず同修甲と同修乙と交流してみました。沢山話した後に私は、「以前は、あなたたちが間違えているとずっと思っていました。法に基づいておらず、外に向かっていたと思っていました。しかし、たとえそうだとしても、私は師父が仰ったように、広大なる慈悲心で理解しようとしていませんでした。この数年間文句ばかり言っており、師父が仰るように人のよいところをみて、悪いところを気にしないようになどはできませんでした。あなたたちの常人的な部分ばかりが目に入り、この数年間私は止まったままでした」と話しました。

 同修甲は、「あなたは私たちが置いていかれることを心配してくれたことがよくわかります。実際、事によってはあなたが思っているようなものではないときがあります。生命は根源が違うゆえ、人間社会での振舞い方も異なります。真相伝えに関して言うと、あなたはストレートに話すタイプだが、私は知恵を使うタイプです。機会があれば私は必ず話します。いつの日か正法が終わった時にでも、私は自分がやるべきことをやったと胸を張って言えます」と、このように言いました。 同修甲とは十数年来の知り合いだが、今日になってやっと本当の意味で分かりました。私は、言葉では表現できないような気持ちになり心が暖かくなりました。

 「そうですね。私たちはそれぞれの環境において師父が要求されている三つのことを行っていれば、大法弟子として合格でしょう。誰でも同じであるということは不可能でしょう」と、同修乙が話しました。「私の店では、従業員の皆が大法はよいものであり、中国共産党が悪いということを知っています。中には既に師父の説法のビデオを見ている人もいます。同修に何かあるときには、私たちは皆黙々と助け合っています」と、彼はまたいくつかの感動的な話をしてくれました。

 こうして交流していると、同修丙(彼は私が最も文句を言っていた人)が来ました。私が誠意を持って、自分が彼らに対して持っていた観念と、今、私が変わった後の考えを話すと、同修丙は非常に感慨していたようです。「実はこの数年来、三つの事に関して、私たちは安定した状態で、充実した内容で行ってきました。これはあなたがこれまで思っていたのとは大分違います。あなたが私を変えようとしても、また同じく私があなたを変えようとしても、誰も相手を変えるこができず、返って溝は深まる一方です」 彼もまた多くの三つの脱退例を教えてくれました。彼が話している間に、この数年間に彼はずっと私を理解しようとしており、私を寛容していてくれたと感じました。多くの場合、彼は私と直接対決しないで、穏やかな表情と心理状態に私はとても感心しました。彼は、「私が将来どれ位の果位になるかについては考えてもいません。これは師父が按配してくださいます。弟子としてはやるべきことを必ず行わなければいけません。私は小さな工場を開業したのですが、これは金儲けのためではありません。私の生活は非常に淡白ですが、これは単により多くの世の人々に済度される機会を与えたいからです。彼の話で私が理解できなかった多くのことについて解答を得ることができました。

 同修たちは正法に参与し、非常によく行っているのです。私(私の周囲にいる学習者も含めて)は、どうして彼らに関してあんなに文句が多かったのでしょうか? 私が思うには次の各面のことがあります。

 1.法の勉強をしっかり行っておらず、トラブル時には無条件に自分に対して探すことをしていません。実際、師父の説法は非常に明確で、私たちが法の勉強をしていても、自分を対照にしておらず、それを使って人を計ってばかりいるのです。これこそが修練者の大敵ではありませんか?

 2.些細なことに対してもそれを大きくして見ており、これらは相手の実際ではありません。それを見てまたほかの同修たちに話し、口を修めないゆえに悪影響を拡大させてしまいます。師父が自らを探し、善なる心を持って人を助けるようにと話されていますが、私たちは善良と寛容が足りていませんでした。

 3.人間の観念を死守して離そうとしません。実際同修の間に意見の不一致があった時には交流するようにと師父はお話しされていますが、私たちはこの一歩を踏み出していません。

 同修と交流した後には心が非常に軽くなり、また次元が昇華したと感じました。

 2008年3月2日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/2/29/173291.html