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四川省広元:刑務所の警官は法輪功修煉者達を野蛮に迫害している

(明慧日本)四川省広元:刑務所の警官は、法輪功修煉者達を残酷に迫害しており、信奉し続ける法輪功修煉者達を強打し、虐待している。以下はその迫害事実である。

 2003年8月~12月、法輪功修煉者・謝洪明さん、林俊さん、肖洪模さん、徐衛東さんは黒板上に書かれていた法輪大法を誹謗する文章を消したため、広元刑務所二区警官・ラン偉、何仲、ゴウ建峰、苗雲に殴られ、批判闘争会の形式で批判された。また、二区5分区の食堂、入所隊の場でスタンガンを使用して焼かれ、酷く殴られて、意識不明となった。その事実は5分区の受刑者達みんなに知られている。

 2005年4月12日、法輪功修煉者・林俊さんは二区の3分区から厳管分区に移送され、厳管分区のグランドに入ると、すぐに指導員・鄧培新と、他の1人の警官から「狼牙棒」で殴られた。警官達は疲れると休憩してまた殴ることを繰り返した。

 2005年5月11日、広元刑務所の警官・ラン偉は武装警察の警官数人を使い、二区の3分区の行政隊長・王一剣と一緒に二区の3分区に監禁されている法輪功修煉者・閔勤均さん、張鋭さん、呂昇雲さんを殴打した。閔さんは殴打されて数日間血を吐いた。

 2005年7月、法輪功修煉者・徐浪舟さんは、他の法輪功修煉者に挨拶したというだけでラン偉と何仲に15日間監禁された。徐さんは何兵に殴られたことがある。法輪功修煉者・朱衛兵さんは、受刑者・楊仕軍に長期にわたって、侮辱され、殴打された。法輪功修煉者・徐衛東さんは受刑者・楊公春に長期にわたって、侮辱され、殴打された。法輪功修煉者・曾玉賢さんは受刑者・羅ジュンに長期にわたって、侮辱され、殴打された。

 2005年5月〜11月、広元刑務所は「法輪功修煉者を強制転向させる小組」を設立し、副所長・謝平が組長になり、二区の成員は姚宝成、ラン偉、何仲、田勇と楊軍である。ラン偉は「包挟犯」(法輪功修煉者を囲んで、監視する受刑者のこと)会で「省の刑務所管理局の転向率80%を達成しなければならないと要求されたため、手段を選ばず、代価を惜しまず、我々は転向率が100%になるようにやる」と言った。

 2005年5月〜11月、原三区の副区長・チャン偉明は警官達を引率して法輪功修煉者達を強制転向させた期間中、数回指示して、法輪功修煉者・曾玉賢さん、閔勤ジュンさん、林俊さんを殴打させ、60歳の魏儀さんさえも逃さなかった。チャン偉明が指示して、法輪功修煉者・曾玉賢さんを2回殴打させ、曾さんの頭からお湯をかけさせ、ライターで顔を焼いた。曾さんの顔にはいまだに焼痕が残っている。

 2003年5月から今日まで、特に2005年の5月から11月には、広元刑務所二区、原三区は監禁されていた法輪功修煉者達に対して全面的に強制転向させた。主な方法としては、法輪功修煉者を隔離し、単独に二区の受刑者・寛管処に監禁させた。何仲、田勇、楊軍などが24時間交代で、数人の「包挟犯」が監視する。何日間も睡眠を許さず、後になって1日に2〜4時間だけの睡眠を許したが、それでも殴打したり、恐喝したり、脅迫するなどの手段で「三書」を書かせた。ここに監禁されたことある法輪功修煉者達は朱衛兵さん、楊国斌さん、呂昇雲さん、康立さん等である。

 2003年5月から今日まで、広元刑務所の法輪功修煉者達に対する「管理」の方法として、1人の修煉者が2〜5人の「包挟犯」に監視され、24時間の行動を記録し、いつでも報告する。指名されている警官と包挟以外の者は、法輪功修煉者達と接触することも、会話する事も、挨拶する事も許されていない。(2005年5月以前は、法輪功修煉者達にはテレビや、娯楽は許されなかった。肉を食べることも他の受刑者より少ない)転向しない法輪功修煉者達には電話することも、親族の訪問も、肉を買うことも、野菜を買うことも許さず、1カ月に50元以内でしか買い物もできない。(ほかの受刑者達には制限がない)

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年3月3日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2008/2/20/172796.html