日本明慧
■印刷版   

法輪功修煉者:趙天秀さんが受けた迫害事実

(明慧日本)2006年8月15日夜9時ごろ、数十人の警官、「610弁公室」の人員らが山東省の法輪功修煉者・趙天秀さんの家に侵入し、趙さんの身分を確認したあと手枷をはめた。そして、真っ白な紙を1枚出して拇印を押すよう趙さんの夫に命じた。しかも「拇印を押さないとお前も一緒に連行する」と脅したので圧力の前で趙さんの夫は、拇印を押した。すると、警官らは趙さんを維坊留置場まで連行した。

 留置場において、趙さんは半生の饅頭を食べさせられた。真夏に水ももらえず16人が10畳のオンドルにぎっしり詰めこまれていた。この状態で28日間過ごした趙さんの体重は28キロ減り、視力もぼやけてしまった。

 ある日、警官から「荷物を片付けたか、出所だ」と趙さんは言われたので、「どこに行くのですか?と」聞くと、「家に戻す」といわれた。しかし、留置場を出たとたん、数人の警官が趙さんに手枷をはめ強制的にパトカーに押し込んだ。「私を家に戻すのではなく、私を労働教養所に送るんだね」と聞くと、「その通りだ」といわれた。このようにして彼女は悪名高い王村労働教養所に送られた。王村労働教養所の入り口で手続きをしたとき、かつて拇印を押した真っ白の紙は文字で埋まっていた。趙さんが紙に書かれている内容を見たいと言うと拒否された。

 趙さんは2人の受刑者の監視つき独房に監禁された。毎日2人が交代で趙さんを猛打した。趙さんは殴打され歯が2本抜け落ち、口は血だらけとなった。吐いてはいけないといわれたが、我慢できず血を吐き出した。すると、今まで以上に一層ひどく殴打された。

 趙さんはこのような拷問のため数回にわたって失神した。検査を受けた医師から血圧が極めて高く、命が危険状態にあるといわれた。受刑者らは殴打をやめたが、寝ることを許さなかった。1週間後、趙さんは頭がくらくらし、立っていられず、立つとすぐバランスを崩し倒れてしまう状態になった。それでも、日中は重労働を強要された。

 2008年1月10日に出所したときには、趙さんはすでに数々の病気に罹っていた。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年3月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/2/25/173072.html