日本明慧
■印刷版   

二言三言:集団での学法について

(明慧日本)新年のあと、私は母と一緒に修煉者の家で学法をしました。学法を始めて暫くしたら、一部の修煉者が眠気に襲われて、居眠りをしてしまいました。仕方がないので暫く学法をやめ、常人の世間話を始めました。そうすると居眠りをしていた修煉者は眠くなくなり、かえって話せば話すほど目が覚めてきました。その修煉者は興奮したせいか、ここ数年間の話を一気に喋り始めました。「私の最初の頃はああだった、こうだった」とか「私はどのような人だったとか」などなど、常人の世間話を沢山話してしまいました。その結果、学法があまりできませんでした。

 彼らが喋っているとき、私は彼らの経歴に対して大きな好奇心を持ち、あらゆることを聞きました。もともと学法する時間がそこまで無かったうえに、私の質問のせいで学法する時間が無くなってしまいました。初めの頃はとても良いと感じていました。しかしある日、母が「このような状態は間違っている」と言いました。その時、私は心の中に何かが引っかかっており、問題の重大さを理解することができました。そして以下の三点の問題点に気が付きました。

  1、今は正法を修煉できる最後の時期で、先生は、僅かな時間でも大切に使って人を助けるようにと、何度も強調されました。このような常人の世間話などをしている暇があるのでしょうか? 集団で行う学法はとても厳粛な事であり、目的は共に向上し、共に精進することにあります。これはどんなに厳粛で神聖な事なのでしょうか!

  2、学法の時はうとうとと眠気に襲われ、世間話をしている時には元気になる修煉者は、どこかの面に執着があるのではないでしょうか? もしかしたら、あまりにも自分に固執しすぎており、昔の事に執着しているのかもしれません。自分がどうだった、こうだったと固執するのも執着ではないでしょうか? これらの心情を放下し、邪悪な勢力に隙をみせず、学法を多くするべきです!

  3、常人の世間話を聞くのが好きな修煉者は、常人の事情に対して執着しているのではないでしょうか? 世間話の内容が、貴方の常人の心に合っていたのではないでしょうか? 貴方は望ましくないことの勢いを助長しているのではありませんか? 常人の心を助長し、学法する時間が滞っていました。

 私達は、これらの問題点について法のうえで正しく認識していませんでした。ですから私達は更に集団での学法の時間を大切にするべきです。個人の悟りですので、適当でないところは慈悲のご指摘をお願い致します。

 2008年3月7日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/3/1/173264.html