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保定市の朱蘭英さんが迫害されている状況(写真)

(明慧日本)河北省保定市の朱蘭英さんなどの3人の女性法輪功修煉者は2008年2月19日、大法の真相を伝える時、悪人に告発されて、不法に保定市留置場に拘留された。

 朱蘭英さん、(44歳女性)は、河北省保定市新市区韓村郷沈庄村の農民である。法輪功を修煉した後、鼻腔炎、腰椎突出、婦人病、喘息などの多くの病はいつのまにかなくなり、体は健康になった。 

 2001年に朱蘭英さんは北京へ陳情に行き、政府に自分が法輪功を修煉した後に受益した状況を説明したため、警官に連行されひどく殴打された。その後、保定までつれ戻されて、韓村郷派出所で警官に殴打された。(その時の韓村郷派出所の所長は黄新宅、副所長は楊春涛であった)そして韓村郷に不法に10万元の罰金を科され(その時の韓村郷の郷長は馬躍彬)、領収書が出された。家族がお金を出せないため、そこで村の村民に支給する各種の福祉の中から差し引き、ずっと今まで差し引かれている。

ゆすられた10万元の「領収書」

 朱蘭英さんは不法に保定市留置場に拘留された。その時朱蘭英さんといっしょにいた人の話によると、朱蘭英さんの腿部、臀部、背中は打たれて青紫色になった。一緒に北京に行ったその他の法輪功修煉者は次々と家に戻れたが、ただ朱蘭英さんが家に戻れなかった。その時朱蘭英さんの小さい息子は小学2年生で、娘は10数歳だった。年を取ったお母さんは娘のことが気にかかって、結局は悲しみすぎて、2001年5月に冤罪が晴れないまま死亡した。家族は朱蘭英さんに最後にお母さんに会ってもらうために、警官に数千元を強請られた。ようやく朱蘭英さんは留置場の警官におさえられて家に帰ったが、何分も経たないうちに、留置場へ戻された。 

 朱蘭英さんの二番目の兄・朱金祥さんはかつて多くの病を患って、いつも薬を飲んでいたが、法輪功を修煉した後、心身とも受益し、病気は全部なくなった。1999年以降、韓村郷に不法に拘禁され、罰金などの各種の迫害を受け2005年12月に冤罪が晴れないまま死亡した。 

 朱蘭英さんは留置場で不法に数カ月間拘禁された後で、中国共産悪党に不法に3年間の刑罰を下されて、不法に河北満城県太行刑務所で拘禁され迫害された。2004年になって、朱蘭英さんははじめて家に帰ることができた。 

 生活するために、朱蘭英さんは夫と一緒に親戚と友人の助けのもとで、貸付金で相前後して小麦粉工場とガラス工場をオープンした。朱蘭英さんは朝から晩まで働いて、2、3年の努力を経て、工場は好転の兆しがあったとき、韓村郷の派出所の警官は朱蘭英さんが大法の修煉を堅持したため、いつも彼女の家へ妨害や邪魔をした。 

 2007年の年末、韓村郷の沈庄村は村民に土地の売買金を1人ずつに3万5千元を支給した。朱蘭英さんとお兄さんの分合計7万元のお金は村に差し引かれた。それまで村の中で支給されるべきお金もすべて差し引かれた。今年は最も多い。朱蘭英さんは弁護士を頼んで告訴したかったが、共産邪党は受理しなかった。 

 2008年2月19日、朱蘭英さんは法輪功修煉者の王環さん、孔蘭芝さんと満城県賢台郷へ真相を伝えに行ったが、真相の分からない人に告発され、満城県賢台郷派出所の警官に連行された。2月20日、3人は保定市の新市街韓村郷派出所まで送られ、2月21日にまた保定市花園里新市街国保大隊に送られ、2月22日午後更に保定市留置場に送られた。

 朱蘭英さんの家族は韓村郷に行って釈放するように求めたが、釈放されないばかりか、更に警官の董に2千元の金をゆすり取られた。数年来韓村郷沈庄村は法輪功修煉者のお金を累計で数十万元強請りとった。少なくても数千元、多いときは一万元以上であった。

 2008年3月8日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/2/27/173210.html