日本明慧
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内と外について


 文/大法弟子 道性

(明慧日本)普段取り上げられている外とは、修煉者が遭遇した人と事を意味します。修煉者は自分といろいろな人と物事との関係をうまく処理できれば、すでに法を宣伝することになるのです。なぜなら私たちは人間社会での大法の実践者だからです。もし修煉者の言動が世の人々に理解できなければ、人はあなたがこうだああだというのではなく、あなたが大法を学んだからこうなったと、つまり大法に対して誤解を招いてしまいます。

 私たちに、家族、友人らの誤解を招いた言動がどのくらいあるでしょうか? 一部の人は長期に亘り、目覚めず、何度も自分の家族のだれだれは魔であり、いかに自分の修煉を邪魔していると言うのです。しかし彼らは私たちが救い済度すべき相手なのです! 彼らは救われる希望を私たちに託しているのです! 私たちはどうして大法の素晴らしさを彼らに見せてあげなかったのでしょうか?

 私たちの言動が真に大法の要求に符合してないため、彼らを大法の反対面に押しつけたのではないでしょうか? 大法の対立面に立つことは大法を破壊するだけでなく、まさに大法を破壊しているのです。このために、どのくらい罪のない衆生が壊滅され、私たちの挽回できない損失はどのくらいあるでしょうか? 教訓は深刻です。これは私達修煉者が必ず深く考えるべきことです。

 多くの場合は、私たち修煉者が世の人々との関係をうまく処理できなかったためであり、根本的な原因は私たちが法をよく勉強できていないことからもたらされたのです。誰であれ、私たちの対立面にいるわけではありません。迫害を加えたものは暴露してもよいのです。暴露する目的は人間のこの一面を打撃するためではなく(極悪非道の人は含まない)、邪悪を制止し、取り除くためです。あとになってまた人間の一面に対して真相をはっきり説明しなければならず、その人と周りの関連する人を救うためなのです。たとえ救いがいのない人であっても、かれを対立面に立たせてはいけません。大法弟子には敵がないのです。かれが再び悪事を働かなければ、私たちはかれのことを気にする必要はないのです。道は一人ひとりの生命が自ら選ぶものだからです。

 もしかして今日のこのすべてが発生した原因も互いに働いた結果であるかも知れません。一方だけではとうてい動かないのです。壊滅された衆生はまた誰と関係があるのでしょうか? 旧勢力は表面上では師父を助けて法を正すといいますが、隠された私心(ししん)を持っています。それは自分の手に入れたいものを手に入れ、自分の残したいものを残したいのです。これはまさに法を正すことに対する真の障碍です。これは個人修煉時の修煉者の心性の表れととても似ているのです。

 もし大法弟子がみな外に向かって探すのではなく、内に向かって探すことができれば、それこそが真に修煉する人の正しい念、正しい行いです。

 どうやったらこれを実現できるのでしょうか? 他人の間違ったところを探すのではなく、それを自分のどこが間違っているかを探すことに変えれば、また他人の不足が見えたとき、自分にも同じものがあるのではないか見ることができれば、それを取り除くことができます。外部の迫害の環境を変えようする思いを、慈悲をもって真相を伝え、自分をしっかり修めることに変えることができれば、外部の迫害の環境も存在の意義と基礎が無くなるのです。

 実際、内在が清浄で漏れがなければ、外在の迫害も存在しなくなるのです。これは師父の説かれた「内を修めて外を安定させる」という法のある次元での意味であると私は理解しています。言い換えれば、身内に財物を盗む者がなければ、どこから幽霊を引いてくるのでしょうか? 外部の現れは私たち自身の不足を照らし出し、それを取り除くためにあるのです。

 しかし場合によっては、私たちはやはり内に向けて探し、自分を修めるのでなく、やった仕事の量を修煉とみなしたりしますが、それは修煉を代替することはできません。仕事をする中で自分をよく修め、心を修めて、欲を断ち、冷静で不惑にならなければなりません。大前提の下で、衆生を救い済度することが第一であり、個人修煉は比べ物になりません。しかし個人修煉は真相をはっきり伝える基礎であり、自分をよく修煉してはじめて、よりよく衆生を救い済度することができ、自分をよく修煉してはじめて、真相をはっきり伝えることができ、自分をよく修煉してはじめて、法は真相をはっきり伝えるための更に大きな智慧と能力を与えてくれ、三つのことをよく行うことができるのです。

 真相を伝えることは法を正す時期の大法弟子が必ず行わなければならないことであり、真相をはっきり伝える中で、絶えず自分の人心を見つけ出し、絶えず放下すれば、衆生を救い済度することができるし、自分をよく修煉することもできます。これは歴史上いかなる修煉でもできなかったことで、ただ師父と大法だけができるのです。これは歴史上かつてない、比類のない光り輝きであり、未来のすべてがその中に含まれています。真相を伝える効果は心性の現れです。心性が高ければ、法はあなたに相応する境界の智慧と能力を与えてくれます。あなたの心性が高ければ、話すときのエネルギー場が大きく、一言でこの生命を通り抜け、この生命の良くない考えを正し、解体することができ、この生命を救い済度することができます。心性が高ければ、必ず大智大慧となり、機知に富んだ言葉ですべての心の結びを解くことができるのです。

 中国の人口は十数億であるのに対して、中国大陸には一億の大法弟子がいます。ひとりが十数人に責任を持てば済むのです。私達は自分の親戚だけでも十数人に留まりません。しかし法を正してからすでに何年も経っていますが、現在の情況はどうなのでしょうか? 多くの人は何度も世の人々を救い済度するといっていますが、実は現在彼自身も解脱できでおらず、本性を探し出せず、人間が自ら描き出したすばらしい幻想と妄想の中にいて、救い済度しなければならないのはまさに自分自身なのです。なんといっても、彼らは法を読みましたが、旧要素に阻まれ、迫害されて法理が見えなくなっています。一部の人はもう修めなくてもよい、自分はすでに円満成就した、法を正すことが終わるのを待っているなどと公に言いふらし、一部の人の現れはまさにこのようで、見ていてひどく悲しくなるのです。

 修煉者が旧い思想に従うとき、誰に協力したことになるのでしょうか? もたらされた結果として、誰が誰を迫害しているのでしょうか? 師父は、旧宇宙は基本的に「私」のためであり、修煉中の人の多くの現れはまさにこのようです。円満成就して新しい宇宙の基準に符合しなければなりません。内に向かって探してはじめて、師父の説かれた法が絶えず分るようになり、悟った理を固く信じ、自分の修煉に恥をかかないようになるのです。

 2008年3月9日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2007/12/25/169002.html