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中国人と欧米人修煉者がお互いに協力しあうにことについて


 文/カナダ法輪功修煉者

(明慧日本)中国人と欧米人の修煉者の間に、新年祭の時、協力し合うことに挑戦の意識があった。普通、欧米人の修煉者の場合、たとえば私自身は社会に対して強い責任感を持っている。それは社会の形式に対することも含む。これには積極的な面もあるが、常人の面から見れば、気をつけないと我々は社会の形式や習慣に制限されてしまう。気をつけないと更に、今日の人類社会のすべてが本当は我々の人類を救うためにあるべきであると冷静に判断できなくなってしまうからだ。

 師父は『2007年ニューヨーク法会での法の説法』で、「中国人の修煉者はみんな一つの感覚を持っている。それは西洋の社会では何をしてもルールに沿って計画通りに進むこと、あることに対しても事前に予約してから、時間が来るまで長時間待たないといけない。しかし、迫害のことは緊急であり、反迫害はルールに沿って待ち続ける時間はない。修煉者たちはこのようではいけないと思っているから、たくさんの中国人の修煉者は自分の方法を使い、直接面会し、持ち続け、あきらめないでやる。必ず必要なところに至るまで真相を伝え続け、仕事と同様にやり遂げないと止めない精神で前へ進む。当然に欧米人の修煉者の中ではこれを受け入れない人が出てくる。習慣になった生活方式を変えたくない」とはっきり指摘している。

 私もある時確かに中国人修煉者のやり方に困ったことがある。ただ、もし積極的に見れば彼らのやり方にも合理性があることが私は分かった。例えば、直接面談してそのことをやり遂げることなどである。

 実例を挙げると、私は数人のほかの修煉者と一緒に自動車販売人に話かけて、新年祭のスポンサーになってもらうように決めた。ある修煉者は沢山の自動車関連の会社に電話をかけて連絡したが、何の返事もなかった。我々は自ら一つ一つ訪れるように決めた。最初に一つの会社に行って見た。直接フロントに行って広告担当者に会わせてほしいと尋ねると受付の女性は非常に吃驚した表情で、事前に予約を入れる必要があると説明した。我々も正直に事前に予約したいと連絡したがなかなか返事がなかったと答えると、受付の女性スタッフは信じられない顔をして、我々を見ながら、「この人たちは嘘を言っている」と言った。私にとって、これは私の心の中に潜んでいる執着心だと分かっていた。しかし、その時私と同修は実は心の中では分かっていたが我々はあなたたちを救うために来た、今日の世界のすべてはこのために、我々に救われるために存在しているから、すべては大法の福音を聞くためだと。最後に我々は予約を入れた。この会社は新年祭のスポンサーになることに興味を示した。実は今回の方式はその後の私が、対メディア関係、対スポンサーと連絡するときのモデル方式になった。こうして、私は直接面談の方式で大勢の新聞社の編集部と個人的な信頼関係を構築できた。ほとんどの新聞とテレビ局は新年祭を報道してくれた。

 もちろん、中国人の修煉者と欧米人の修煉者たちは其々の良いところと悪いところがある。中国人の修煉者は欧米人修煉者に対して我慢しなければならないし、欧米人修煉者も中国人修煉者に対して我慢しないといけない。多くの場合、我々欧米人修煉者は中国人修煉者の欠点だけを注目してしまう。その結果、彼らのすべての行動を非難するのである。実は我々欧米人修煉者の計画通りに進むと自分の中に潜んでいるまだ捨てるべき執着心に従って進むことになってしまい、結局旧勢力の罠に落ちてしまい、旧勢力にコントロールされてしまう。その結果、中国人修煉者との間にギャップが生じてしまうのである。

 我々の修煉の過程では、心にある執着心は必ず表に出てくる。目的はこの執着心をなくさないといけないからだ。同修との間に摩擦があれば、執着心は必ず現れる。その時、我々は矛盾を避けるのではなく、矛盾と摩擦に直面して、出てきた執着心を認識してそれを取り除くことである。その時、問題は相手を容認することだ。相手の執着心は本当の相手ではなく、相手が捨てたいもので、相手の執着心を相手と誤解してはいけない。執着心は我々の上をおおう雲のようなものだ。これは旧勢力の仕業である。では、我々が持っている執着心が旧勢力の仕業と知った後は、我々はそれを取り除くべきであり、取り除かれた部分は真善忍に同化され、新宇宙に所属している。師父は「私はあなたたちの良い一面だけを見て、私はあなたたちを済度できます」(『2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説』)と指摘されたとおり、我々も同修の間はこのように良いところを見て協力しなければ、法を実証することはうまく進まないだろう。

 2007年の神韻の新年祭の後、皆が誰も私を容認しないように思われた。私は皆の間に距離を感じた。話によると、私が欠席した学習交流会では皆私に対して議論し、私を攻めたと聞いている。私は地元の同修から直接私の問題を指摘して欲しかった。そうすれば私もそれを改善して前へ進むことができる。しかし、誰もみんななぜか私に対して不満があったが、私の問題を指摘してくれなかった。

 例えば、新年祭が終わった後、チケット会社は1週間内に収入を我々に返済するはずだ。大勢の同修たちは事前に支払ったお金を使いたいと経済面で困っている同修たちはそれを待っていた。しかし、チケット販売会社は決済を延期した。はじめは、私はあまり深く考えず、我々の会計もかなり複雑だから、チケット会社に迷惑をかけていることを知りながら、毎週電話やメールで早く決済を行うように促していた。しかし何の反応もなかった。その後、私は自ら現場を訪れたり、もっと沢山の電話をかけたり、メールを書いたり、弁護人に頼んで連絡したりしても進展はなかった。私はもっと大きい視点からこの問題を見ないといけないと感じた。私は自分の心の中へ向かって問題がどこにあるかを探した、他の同修とも交流してみた。我々のみんなの力でこの問題を早く解決したかった。当時私は地元の同修たちにメールを送り、私の見解を説明し、私の執着心に対する皆の指摘を期待したが、結局私の期待と遥かに異なる形の展開になってしまい、1人だけから返事が送られてきたが、その返事は私に爆発的な怒りがあるという内容で私の修煉状態が良くないと指摘した。また、私は西洋人修煉者として仕事をする時人に縛られすぎていると書いていた。さらに、ある同修から、もしこのことを中国人修煉者がやったら、すでにチケット販売会社と話し合って解決したと話した。

 もちろん、私に返事を書いた同修も法のために考えて書いたと思う。話し方に問題はあるが、彼らの指摘は実は正しいものだった。このことでは確かに私はあまりにも人の考え方に縛られていて、修煉者のあるべき正念はなかったと思う。その後はチケット会社が私に小切手を支払った。地元の同修者はもう私を信頼しなくなったと自分が判断し、中国人修煉者に私の代わりに小切手を取りに行かせた。この過程では私はかなり孤独を感じた。地元で私を理解する同修はいなかった。それだけではなく、たくさんの同修は私を嫌いだった。私は時々自分に対して「この世界ですべての同修たちが私を嫌いになっても、好きになっても私はやるべきことをやらないといけない、私はどこが間違ったか」と警告を鳴らしていた。

 私は大法に従うように常に頑張っている。しかし、私は少し精進するだけでまた新たな試練がやって来て試されるのだ。その時私はほかの同修が言うような本当にだめな人間なのか? 私は間違って修煉してしまったのか? と心配も出てくる。まるでいつまで待っても夜明けのこない高速道路で車を走らせているようだ。私はしばらく走らせて、道路標示が見つかったところで少し休憩したいわけだ。そうしないといつまでも夜で同じ道を走らせているように見えた。私はとても絶望的だった。誰かが来て、私の行動を認めて、あなたはよく頑張ったと褒めさせたかった。ある時は又なぜ他の同修の修煉する道は私より軽くて、難関があっても乗り越えやすいように私には見えた。私は戸惑った。彼らは何故こんなに苦しまなくてもよいのか。しかし、やっと最後に私は分かった。これらの考え方は私がこのすべてを心の外に探しているので、正解があるはずがない。師父の経文『時間との対話』で言われた通り「彼らはいつも人と比べるのだ、自分の昔と比べる,したがって法の各レベルでの要求で自分を見るのではなく」私は決心した、二度と他の人に認められるために悩まないと、まるで修煉の段階でなにも見えなくても一生懸命に前へ前へと進む大根器の人のように努力することに決めた。「自分がどれぐらいのレベルの功を持っているか、自分が修煉で得られた功はどのような形態のものなのか全然知らない」、だが「ずっと前へと目指して修煉する」(『転法輪』より)。彼の心の中だけに堅く存在する法だけが彼が悟る前に歩むべき長い修煉の道での唯一の目印である。

 私がこの原稿を書いていた頃(2007年の秋、ワシントンDCで書いた)、カルガリの同修たちの私に対するマイナスの印象はまたあったみたいだ。私が原稿を書き始める前日、ニューヨークでカルガリのプロジェクトの調整人と会った。彼女は私に、ワシントンDCはいかがですかと聞きながら、「できればあなたはカルガリに滞在しないほうがいい。なぜならあそこの同修たちはあなたに対する不満が大きい、その原因が私は知っていますよ」と言われた。

 ただ、私はその原因を心の中で知っていた。少なくともある部分を知っていた。私には情がある。私は自分の修煉状態にまだ心配もある。この同修が帰った後、私は思わず一人で泣いた。私はとても悲しくて毎日毎日師父の写真の前で泣き師父に「地元の同修たちともっと仲良くなりたい、許してください」とお願いしをした。私は一生懸命地元の同修のために、よりよい修煉の環境を整えるために頑張ったのに、私の故郷の同修は何故私をそんなに嫌いなのか。私は彼らに対して憎しみはない、怒ってもいない。彼らの私に対する見解は間違ったと証明するつもりもない。彼らの考えを変えるつもりもなかった。私はただ自分に対して、自分が衆生を救うためにうまくできなかったことが非常に悲しくなった。

 実は、その時カルガリの同修も私を許さなかったと同様に私も彼らを真の意味で心の中では許さなかった。

 その後、師父の『オーストラリアの修煉者へ法を説く』の映像をみて、この点を認識した。師父は我々に対して、修煉者の間で、大声で争ってはいけない、お互いに刺激する言葉を使ってはいけないと教えられた。かつてカルガリの同修は私に対してしたように私も心の中では大きい怒りを抱いていた。私は本当に彼らを容赦しなかった。特に新年祭の公演が始まる間に起こった事は許さなかった。

 公演団が来る数日前、私はマスコミに対して我々には簡単な歓迎のセレモニーがあることを通知していた。もう1人の同修は私に彼が書いたマスコミへの招聘状の訂正を求めていた。私は彼に「原稿は大分上手にできています。数カ所少しだけ訂正すればOK 」と言った。

 その日の夜、市の中心部で各組の調整人(担当者)の会合があった。私が会議室に座った途端、中国人同修たちは大声で私に向って何かを喋って私を責めた。彼らの表情はとても怒っているようだった。私は彼らの喋る言葉がさっぱり分からず、なぜ私を責めているかも知らなかった。たぶん、私の訂正した原稿のことか、マスコミへの招聘状は数時間遅れていた。しかし、歓迎式は数日後のことなので、そんなに怒ってもと私は戸惑った。数日前彼らは私に対して、マスコミへの招聘状を出すのが早すぎたと文句を言っていた。私は彼らに冷静にしなさいと促した。我々は冷静に法の上で問題を分析しようと促した。「もし我々がお互いに赦し合い、相手を許して、協力し合ったら、正の神も我々に力を与えて我々を支えてくれる。そうなければ如何にマスコミへ要請しても成功しないだろう」と言うと、私の話はまるで耳に障害がある人に話したように思われた。彼らは私の話を聞こうとしなかった。相変わらず私に対して何かを喋り続けた。私は続いて、彼らに対し、怒ってはいけない、我々は次の対策を考えようとも言った。しかしやはり無駄だった。今回の新年祭では私は非常に落ち込んでしまった。私は彼らを弁論もできない。私に予感があった。我々のことは成功しないだろう。我々は内部の矛盾さえ克服できないのだ。

 しかし、私が家に着いたところ、彼らの中の1人から電話があった。彼が言うには、私が離れた後、彼らは師父の『論語』をみんなで暗記したという。彼らは問題を自分の内部へむけてさがし求めたのだ。それで意識したのは、問題は彼らにあって、彼らの誤りだという。彼はその中の1人として私に謝りたいという内容だった。

 同修たちはこのことを通してレベルを高めることができた。我々のマスコミ報道への宣伝は大成功だった。しかし、最後に私は不満でいっぱいだった。もっと酷いのは、私の心にこんな考えも潜んでいた。「あなたたちがもし私のやったことを大事にしないなら、来年私は何もやらない、あなたたちは自分でやって見て」。私はびっくりした。私は自分の考えに驚いた。私はこのすべての努力は自分を実証するためにやったのだ。自分が一生懸命やったことを彼らに認めてもらうためにやったのだ。私は自分の心に問うた。「あなたは同修に認めてもらうためにやっているのか、あるいは衆生を救うためにやったのか?」。

 今日、私はこの機会を利用して私が心の中で赦さなかった同修に謝りたい。私はいかなる理由があっても旧勢力に隙を与えてしまい、旧勢力は我々の摩擦を拡大して、お互いに争うまで発展させた。同修たちの間にギャップを生じさせた。私は師父の話を良く聞かなかった。同修の良いところだけを見ればよかったのだ。私を許してください。私の悪い面は本当の私ではないのだ。まだ修煉できていない部分なのだ。あなたたちも同様に私を見てほしい。

 (2008年アメリカロサンゼルス法会での発表原稿)

 2008年3月15日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/3/13/174240.html