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上海の法輪功修煉者・張宇霞さんは再度連行された

(明慧日本)2008年2月18日、上海徐匯区桂林路70棟上海師範大学の新住宅区202号1005室に在住する法輪功修煉者・張宇霞さんは、法輪大法の真相を伝えたために不法に捕らえられた。家には幼稚園に通う2人の息子が残された。長男・郭敬賢ちゃん(5歳)と、次男・張子賢ちゃん(3歳)で、現在の情況は不明である。張宇霞さんの夫・郭生歓さんは、「真・善・忍」を信奉し法輪大法を修煉したため、2007年に不法に4年の刑罰を下された。

 張宇霞さんの夫・郭生歓さんは、上海師範大学の数学と物理学情報学院の講師であった。仕事はうまずたゆまず励み、生徒を連れて、何度も数学模型競技に参加して受賞し、上海数学模型競技の優秀なコーチに選ばれた。しかし上海師範大学はこれらの事実を顧みず、郭生歓さんが法輪大法を修煉したために、彼が担当する授業をやめさせ、資料室で働かせるように手配した。年度審査で彼は不合格だと評定したために、賞金が押さえられ、給料も引かれた。2007年1月25日午前8時過ぎ、郭生歓さんが出勤たときに、数学と物理学情報学院の顧国祥副院長の事務室でだまされて、警官に連行された。袋を彼の頭にしっかりかぶせて連行したと目撃者は語った。その後不法に4年間の刑罰を下された。現在、不法に提藍橋刑務所で拘禁されている。

 張宇霞さんは、1999年華東師範大学地理学部を卒業。 かつては上海市古北中学校で教員を務めたことがある。法輪大法の信条を放棄しないため、青浦洗脳クラスに連行された。その時彼女はまだ哺乳中だった。その後、故郷南通で世間の人に大法の真相を伝えたために捕らえられ、中国共産邪党の迫害を受けて、江蘇の警官に不法に労働教養所に送られ、古北の中学校からも解雇された。その時、張宇霞さんの長男・郭敬賢ちゃんは満1歳になったばかりで、張宇霞さんはすでに2人目の子供を妊娠していたため、不法な人員は仕方なく、彼女を労働教養所から釈放した。しかし彼女は家に帰った後、いつも上海徐匯区の悪党人員に邪魔され、尾行され、邪党の人員に罵言とみだらな言葉を浴びせられた。

 2007年1月25日午前、張宇霞さんの夫・郭生歓さんは、出勤途中に徐匯留置場に連行された。それと同時に、張宇霞さんも上海虹橋国際学校に出勤途中、警官に連行された。幼い子供2人は悪党人員に幼稚園の先生に世話してもらうように手配された。張宇霞さんは10数時間取り押さえられた。2人の子供は深夜になってようやく家に帰ることが出来た。翌日、張宇霞さんは虹橋国際学校の人事処に不法に解雇された。夫が不法に逮捕され刑罰を下された後、張宇霞さんは、かなり長い間家庭教師の仕事をして、ようやく家庭の生活を維持することができた。その後、ようやく新しい仕事を見つけた。張宇霞さんは家族を守るために、仕事がひけた後でも家庭教師の仕事をして、ようやく2人の幼い子供を養育することができた。 

 郭生歓さんが捕らえられた後、彼の父親は、重大な精神的打撃を受けて錯乱状態になり、2007年5月19日に亡くなった。張宇霞さんの父親は、娘婿が捕らえられたこと知り、2007年6月、心配と憂慮で脳溢血を突然発病し、正常に話すことができなくなった。 

 2007年9月29日からかなり長い間、張宇霞さんは邪悪な徒に24時間不法に尾行され、監視されていた。張宇霞さんを尾行するのは3人の警官と、7人の共同防衛のメンバーで、1日3交替の当番で、桂林路70棟内に1台の乗用車が止まっていて、いつでも命令を待っていた。張宇霞さんは尾行を抜け出し、休暇期間を利用して、子供を連れて崇明小川郷に住んでいる姑を見舞いに行った。親の苦痛を少しでも慰めることを望んだが、夜中に張宇霞さんが家に帰ったかどうかを尋ねにきた人がいた。江蘇南通天生港派出所は夜中に彼女の実家のドアを敲いて邪魔をしにきた。 

 2008年、新年が過ぎて間もなく、張宇霞さんは再度連行された。現在、2人の子供はどこにいるのか分かない。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年3月18日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/3/7/173811.html