日本明慧
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小弟子との交流を軽視しないように

(明慧日本) 私の息子は大法を修煉したばかりで、時に私はよく問題を出して息子に「テスト」をします。息子の回答は往々にして私をびっくりさせます。息子は知らないだろうと思った法理でも、彼は二言三言ではっきりと回答し、時に私は啓発されることもあります。それから、私にとって納得できず、うまく処理できない問題も、息子に聞くと、彼の回答は簡単で、一発的中で私を納得させることがあります。

 今日の正午、私は息子と一緒に『私達が未来に伝える』のビデオを見ていました。彼が食事に集中していたので、私は「見て見て、医学博士が話をしているよ」と言いました。息子は私を見て、「見て見て、人が話をしているよ」と言いました。私はわけ分からず、さらに説明しました。私は医学博士の話は説得力があると言いたかったです。息子は「一人の人間と、一人の医学博士とは、違いがありますか?」と答えました。私は口を閉じて黙々と考え、自分に深く隠れている執着心である名利心を探し当てました。名利に執着しているために、学歴を重視し、学歴の高い大法弟子は法を実証する能力が大きく、効果が良いと思い込んでいたのです。真相を説明する中でも、区別する心がありました。常人社会の地位が高くて、権力があり、金持ちの人に対して、彼らは済度し難いと判断しました。能力があり、話が上手で物事を機敏に処理する人に対して感心し、人為的に自分が真相を説明することに障害を作りました。この心が今日やっと私に見えるようになりました。真相資料の中で医学博士の話を引用すると、普通の人の観念に合わせて説明しやすいなどと、私達大法弟子は常人の心で考えてはいけないのです。

 ここで私は悟りました。小弟子は小さく、入門も遅いのですが、悟性が低く、根基が小さいということではありません。すべての人は法に同化する方法が異なっており、修煉の道も違います。子供はもともと人間として汚染されている部分が少なく、純正なので、直接宇宙の特性に同化することができます。だから、私達も周りにいる小弟子を軽視してはいけません。本当に回りの小弟子を同修として見ることによってはじめて、本当の意味で共に精進し、さらに向上することができます!

 2008年3月19日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/3/10/174008.html