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古参のメディア・プロデューサー:細胞全体が蘇った(写真)

(明慧日本)(記者・沈容)世新大学のメディア管理科講師の黄文珊さんは、かつて客家テレビ局(編集者:台湾人にとって大陸から来た人は客家人と言う)の制作監督を務めた古参のメディア・プロデューサーである。3月17日晩のニューヨーク神韻芸術団の公演終了後、黄さんは感動のあまりしばらく座ったままだった。黄文珊さんは「この公演を見た人が皆感動する原因が今分かった。この感動は本当に観てから初めて深く体験できる」と語った。
前客家テレビ局の古参メディア・プロデューサーの黄文珊さん


 神韻を観て、人が面目一新となり、浄化された気がする

 黄文珊さんは微笑みながら「神韻は伝統的な中国舞踊、全体の中国芸術を完璧に表現している。このような公演を観て、中国人の身体にある血液の因子がすべて引き出されたように感じた」と話した。

 黄文珊さんは自分の内心に蘇る感銘を次のように述べた。「全体の細胞が蘇るような感じで、呼び覚さまされた感覚は、とても和やかで静かだ。また、とても快く感じ洗浄されて面目一新された気がして、とても心地良い森林浴をしたような気分だ。

 アリストテレス(ギリシア最後の大哲学者)はかつて芸術に関して、悲劇が心を洗い、心を浄化すると言及したことがある。私はたくさんの芝居を見る時、そのように感じていた。しかし、私は本日神韻の公演を観てから、アリストテレスの言うことを体験したが、これは人の心を打つ悲劇を観てからの感銘ではなく、このような快い喜ばしい公演を観て、心が洗われたような新鮮な気持ちだ」。

 神韻を観終えて、生活にとても望みがある

 黄文珊さんは、神韻は伝統文化の中に新たな構想を入れて、新たな芸術を誕生させたと称賛した。「最近ではアイディアの文化、文化革新の話をしている。故宮博物館の『Old is new』古物こそ新アイディアともいえるが、私は神韻を観てその全てがとても具体的な表現で、生き生きとしている表現を観て、古いと感じない。その表現は「神韻(神様の動き)」を丸ごと吸収して、中から新しく芽生えているようだ。

 かつて客家文化の一部の活動に参与したことがあったが、芸術の表現が必ず悲劇の方式で人を感動させ、人の心を打つとは限らないと、私は思う。多くの人は、アリストテレスに影響されて、悲劇しか人の心を浄化することができないと思ってしまったが,しかし神韻を観終わってから、生活は本当にとても望みがあり、もともと素晴らしいことだ『Life is good』(生活が素晴らしいだ)と感じた。

 神韻の公演は芸術には国境が無いと感じさせた。このような公演を観て、直感的で言葉は要らず、東方人、皮膚の色、その文化背景によらず、東方文化の歴史背景を理解する必要もなく、ただこの演出を通じて文化の内包を深く感じることができる」。

 最後に黄文珊さんは、「私は『神韻』と言う名前は、その表現が内包に本当にとても合っていると思う。衣装、舞踊、音楽、全体は完璧。台湾の多くの舞踊界、芸術界の人はすべてこの公演を観に来るべきで、必ず観賞する価値があると思う」と語った。

 2008年3月22日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/3/18/174623.html