日本明慧
■印刷版   

修煉の難易


 文/大連の大法弟子

(明慧日本)「沙を淘(よな)げる」という新経文を読み終え、体得したことがたくさんあります。

 修煉の易しさ

 修煉は師を信じて法を信じることだと思います。純粋に盤石でゆるぎなく師を信じて法を信じさえすれば、修煉はたやすい事です。師父がいらっしゃらなければ、大法修煉は論ずるに足りません。大法を修煉しなければ円満成就について言及するには及びません。

 修煉の難しさ

 もし修煉者の理知がはっきりしていなければ、結局、師父の話を聞かなくなり信じなくなります。塀のうえに生えた草のように、風のない時はまだしも、四方八方から風が吹いてくれば揺れ動くようになります。本来の目的を忘れ、何の為に修煉するのか忘れてしまいます。このような人にとって修煉はとても難しいのです!

 私は思うのですが、私達の修煉は盤石のように、暴風雨や彩りが多種多様であるにも関わらず、みな動揺しません。塀のうえに生えた草のように、わずかな風や、四季の変化に従って変化しないでください。

 私は言いたいのですが、師を信じて法を信じることが私達の最も大切な基本です。私達が法を信じ、師を信じることに影響を与える要素は、必ず直ちに打ち砕き全滅させなければなりません。

 師父を信じなければ何にもなりません。

 2008年3月24日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/3/17/174513.html