日本明慧
■印刷版   

発正念時に現れた正しくない状態を正した体験

(明慧日本)正念を発して以来、私の手は常に正しい姿勢を保つことができず、右手は常に倒れていました。そのため、母はよく私に注意してくれました。私もこの正しくない状態を正そうと思い努力もしましたが、実際の効果は微々たるものでした。その後、この問題に対して仕方がない状態から麻痺状態に陥り、消極的に対応するようになりました。

 手が倒れることは、私がぼんやりしている、あるいは居眠りをしている時だけではないことに気づきました。場合によっては、私が精力を集中して、強大な意念を発し、邪悪を滅するときにも、知らないうちに手が倒れてしまっていました。そのため、母は直ちに指摘してくれましたが、私は自分が邪悪を取り除くことに影響したと思い、嬉しくありませんでした。たまに不機嫌で、まったく正念を発せず、邪悪の罠にはめられたこともありました。

 繰り返して師父の新しい経文『沙を淘(よな)げる』を勉強後、これは私に対して再度の警鐘だと感じました。慈悲なる師父は、私のように良く行っていない弟子に、再び良く行えるようチャンスを与えてくださったのです。私も法を正す時期の修煉の厳粛性について深く感じました。同修との交流を通じて、私は発正念の時に手を立てられないのは、自分が長期に亘り、修煉者としての要求に達していなかったのだと認識しました。

 主な現れは、

 1、長期に亘り煉功しなかったため、強大なエネルギーによる加持がなかった

 2、法の勉強を重視せず、法を勉強しでも、心に入らなかった

 3、正念を発するとき、自分の空間場をきれいにすることを重視しなかった

 4、一旦目を閉じると、主意識を緩め、個人の感覚を求め、功能を求めた

 自分の問題を認識できると、直ちに正し、以前良くできなかったことを新たに良く行うようにしました。

 1、毎朝全世界の同時煉功に参加し、五式の功法を一気に行った

 現在は、毎朝目覚まし時計のアラームを設定し、アラームが鳴ると直ちに起き、自分に怠けるチャンスを与えませんでした。現在まですでに半月堅持して、すでに一種の機制となり、決まった時間になると目が覚めます。この期間中、私は苦を嘗めることを恐れ、安逸と怠惰を求め、常人の睡眠時間に対する執着などを修め、以前の煉功のことを思うと心配し、困難を恐れるなどの心理を無くしました。煉功するに従って、私はますます元気になり、睡眠時間は明らかに減りました。

 2、集団学法に参加した

 現在、私は一人の同修と一緒に学法しています。『明慧週刊』の中で、同修らがいかに法を勉強したかの交流文章を読み、私は自分の心を是正し、自ら法に同化したい心を抱いて、求めずに自ずと得るようにしました。

 3、以前の誤りを克服するために、しばらく目を開けて正念を発するようにした

 発正念の時間を長くした以外、毎回目を開けて正念を発するように自身に要求しました。始めは目を開けると自分が自分ではないような気がし、知らないうちに目を閉じてしまい、瞼が重くなり目が開けられないようでした。法を勉強し煉功するに連れて、目も開けられるようになり、正念も強くなってきました。

 この間、同修を救援するために、数人の同修が一緒に正念を発しましたが、私の手は倒れず、正念は非常に強かったのです。そして手が倒れる現象がなくなったと思っていましたが、なんと同修らが帰った後、自分一人で正念を発すると同じ問題がまた起きてしまいました。私はとてもがっかりして、泣きながら師父に助けを求めました。私は手が倒れる原因を探し当てられず、自信がなくなりました。その後の学法の中で「そのうちあなたは次第に追いついて来て、間違いなくこの期間中に追いついてきます」(『転法輪』)を読んで、師父が私を励ましてくださっているとすぐ分かり、目の前が明るくなり、直ちに自信が満ちてきました。暫くの間、私は正念を発するときに目を開ける必要がありました。自分の心性が高まってくれば功能も強くなり、自分の空間場も清らかになり、正念を発するときの姿勢も自ずと正されると思います。

 私は師父が私たちに与えてくださった最後のチャンスを必ず大事にし、修煉に対し厳粛に自分を本当の修煉者として要求し、修煉者らしく行動し、全世界の大法弟子と共に私達の強大な正念を発し、この迫害を徹底的に終わらせます。

 2008年3月26日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/3/22/174795.html