日本明慧
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男女の付き合いは礼節を要す


 文/大陸大法弟子

(明慧日本)男女の不倫関係は修煉に大きいマイナスであり、いったん犯したらその結果はとても深刻で、甚だしきに至っては修煉の機縁を喪失してしまいます。

 旧勢力は、すべての円満成就する人はこの方面で純潔を守った人だと認めました。純潔を守っていない弟子に対して、旧勢力はこれを迫害の口実にして、多くの同修は甚だしきに至っては迫害されて貴重な人身を失いました。

 大法弟子は常人の俗世間の中で修煉しており、同時に未来の人類に生命の基準と存在の方法を残しています。古来の諺は「男女に区別有り、男女の接触はなれなれしからず」で、これは昔ながらの男女関係に対する要求と基準であり、道徳基準でもあります。

 男女の付き合いには礼節をわきまえるべきで、時間、場所など各種の要素に制約されます。これは神が人間に与えた基準であり、これを離れると道徳的な節操問題になり、甚だしきに至っては罪深い淫行の業を造ってしまうのです。

 大法弟子は正々堂々として修煉し、どこにいても大法に照らして自分を律するべきで、人や物事に接する態度や、人柄など、社会の各方面でもすべて道徳高尚、品行方正、純潔な大徳の人であるべきです。

 大法弟子は大法を実証し、共に法を学び、大法を高揚する中で、老若男女が共存し協調しています。大法修煉の中では、すべて相弟子であり、すべて平等ですが、お互いに尊重し合い、長幼の秩序に従い、男女の区別を有して礼儀正しければ、世間の人に大法を実証することになり、人々は、大法の団体は本当に純潔な浄土だと感心するのです。

 ある人は各種の執着心を無くしていないため、大法の修煉の原則をはっきり認識できず、同修、相弟子のよしみを「友情」にしました。ある人は男女の区別を意識せず、色の心がなく、男女の同修間の付き合いの面で、人間の道徳基準も捨ててしまいました。男女の同修が協力する中で、いつの間にか「友情」から「男女の情」になり、あるいは不倫はしていないものの、頭の中で守らず、さらに常人も及ばないことをして、人を害し己を害し、深刻に大法の名声を穢しました。

 男女2人きりで長く同じ部屋にいる場合もありますが、必要でなければ避けるべきです。ある人は、ともすれば、異性の同修に修煉の事も、生活の事も助けを求めますが、必要でなければ避けるべきで、異性の同修と付き合う場合、用事がなければ長く一緒にいないほうがよいのです。

 どこにいても、私達は自分の一挙一動、自分の道徳節操に注意しなければなりません。大法弟子間の男女の付き合い、協力は礼儀作法、道徳基準に従わなければなりません。

 以上は個人の認識であり、妥当でないところはご指摘下さい。

 2008年3月29日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/3/21/174765.html