日本明慧
■印刷版   

常に法で量る

(明慧日本)私は、1997年に法輪大法に出会いました。したがって長く修煉している大法弟子でもあります。修煉の過程はさまざまな事を乗り越え、良くない心を捨てることです。それでは、私の物語を紹介します。

 中学校に入って数カ月して、心性を高める機会が何度もありました。

 2007年12月のある日、5時間目に先生が新たに授業を設けました。

 その日の午後、私は家から急いで学校に走りました。走っている途中、度々腕を挙げて腕時計の時間を見ました。そして、教室まで後50mの所で、リレーの時のように全速力で走りました。そうすると、あと数メートルのところで、担任の先生が怒って教室から出て来ました。私はすぐに不吉な予感がしました。そして教室に入ると、同級生達が驚いて不思議そうな視線で私を見ていました。さっさと自分の机に向かいました。しかし、なぜか自分の机が一番後ろに置かれていました。友達がふざけてやったのではないのかと思いながら、机を戻そうとすると、「先生が、これから遅刻した人は一番後ろに座らせると話していた」と同級生が私に教えてくれました。仕方なくそこに座りました。

 最初の授業は英語でした。英語の先生は教室に入ると、言い表せないような蔑んだ目で私を見て、「おまえは今後遅刻したらずっとそこに座っておけ!」と叫びました。私はもうこれ以上我慢できず、大声で泣いてしまいました。

 翌日、もう一人の生徒も遅刻しました。班長が彼の机を後ろに置こうとしましたが、泣きそうになった彼を見て、また机を前に戻していました。そこで、私は我慢できなくなり、友達に不満をもらしました。

 母にこの事を話すと、母は『転法輪』を読むようにと言いました。私の気持ちは非常に揺れ動いていました。そして、『転法輪』を開くと、師父が教えてくださいました。「この宇宙の中にはもう一つの理、すなわち大きな苦痛に耐えれば、自らの業力もおのずと徳に転化される、ということがあります。煉功者として求めようとしているのはまさにこの徳ではありませんか? このように、業力を転化させることもできましたので、あなたは二つのものを得ました。相手がそのような環境をつくってくれなければ、あなたはどうやって心性を高めることができるでしょうか? みんなが和気藹々で、そこに座っているだけで、功が伸びるなどということがありえますか?」(『転法輪』の第四講〉)

 読み終わって、私は深く実感できました。その時のことを思い出してみると、自分の考えはなんと未熟だったのだろうと思いました。

 2008年3月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/2/17/172620.html