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最終段階で発正念をもっと重視すべき


 文/山東泰安大法弟子

(明慧日本)最近、法を正す勢いの表面化に伴い、人を救うこともさらに緊急性を増しています。多くの修煉者はもっと自分のすべきことを行うために、自分の状況に合わせて、時間調整を行い、衆生を済度する最大限の効果を求めています。

 私は通常なら発正念の時間を逃したりしません。たとえ夜中1時の発正念もほとんどタイミングを逃すことはありません。数日前に仕事で多忙な日々が続き、煉功も怠けていたため、発正念の時間を逃してしまいました。気づいてからは酷く後悔し、すぐさま発正念をしました。

 ここで、いくつかの考えを皆さんと交流したいと思います。

 一.心から全体での発正念を重視することが重要

 毎日4回の発正念は全世界の大法修煉者たちが力を合わせて、集中的に邪悪の要素を取り除く行動で、聖なる法の力を発揮できるのです。ここでは法に自分の力を加えるか、あるいは法を正すことの障害になるかの二択しかありません。なぜなら、このチャンスを逃すと、自分が正念の威力を減らすだけでなく、邪悪に避難所を与えることとなります。したがって、邪悪を生き延びさせることになり、自分の空間に入った多くの邪悪な要素で法を正すことにさらに大きな障害をもたらします。ある修煉者はこれを隠れた憂いと呼んでいます。確かにその通りです。幾度も事後で補うチャンスはあまりないはずです。

 二.正念で邪悪を取り除くことを怠けていけない

 学法、発正念、真相を伝えることは法を実証する中で、全力で行わなければならないことです。この三つのことは衆生を済度する中でお互いに支えあっています。発正念はその重要なポイントです。皆さんも知っている通り、他の空間において神々は私たちのあらゆる考えや行動を見ています。それと同時に旧勢力の邪悪なる命や要素も法を破壊し、修煉者を迫害しようとして、私たちの修練での過ちを見つけようとしています。したがって、発正念を十分に重視し、続けることによって初めて自分の空間を浄化することができ、邪悪による影響を受けずに、法を実証する道をしっかりと歩むことができます。

 三.要領を把握し、積極的に発正念

 世界統一の発正念の威力は図ることすらできません。私たちはあらゆる瞬間においてしっかりしなければならないのです。たしかに、一部の修煉者は仕事などの関係で座禅や掌を立てることができないこともあります。「たとえ歩行中、食事中、仕事中など、あらゆる状況でも集中さえすればできるのです、必ずしも座禅するとは限りません」、「思想を集中させて、もっとも純粋で揺るぎのない正念を発するのです」(明慧編集部『発正念について』)このように行うことができれば、世界各地の正念で邪悪を取り除く活動に参与していることになります。

 今のような法を正す特殊な時期に、師父はすでに私たちに正念で邪悪を取り除く能力を与えてくださっています。これは私たちの誇るべきことであり、厳粛かつ神聖なことなのです。したがって、私たちも発正念をただの任務とみるのでなく、法理に基づき、理性的に法を正す使命を果たすための行為と認識して、要領を把握し、全体とうまく協調して進めていくべきです。私たちの修煉の道は歩めば歩むほど、広くそして明るくなっていくのです。

 四.毎回の発正念を大切にすべき

 師父の説法で「以前、皆さんにお話したことがありますが、人類の時間は今すでに非常に速くなっています。以前、人類の時間に数回の変化があると幾度となく皆さんに話したことがあります。つまり、今の一日は以前の一秒であるとお話しましたが、その後、今の一年が以前の一分であると言いました」(『2005年マンハッタン国際法会での説法』)今、法を正す勢いは飛ぶように進んでいます。私たちも宇宙を保護し、衆生を済度する使命を背負っています。行なったことのすべてが宇宙で鮮明な記録に残るのです。発正念を一回でも逃すとその邪悪を取り除いて法を正すチャンスはもう二度と戻ってこないのです。日に日に新たなスタートができますが、この法を正す最終段階であらゆる瞬間を無駄にしてはなりません。

 個人の理解に過ぎないので、皆さんがご指摘ください。

 2008年3月30日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/3/24/175029.html