日本明慧
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三つのこととは一つの事の3つの部分


 文/大陸弟子

(明慧日本) 学法しない限り、自分の考え及び自分自身がいつも法の中にいるとは保証できませんし,大法と正法からの発想でなければ、正念正行で他の2つのことも上手くできません。煉功しなければ自分自身の昇華ができず、功力も伸びず、人身本体も転化することができません。

 発正念しないと自分自身の空間場を浄化することができず、魔と黒手に隙に乗じられます。発正念で三界の中にある大法を破壊する邪悪な要素を一掃せず、常人の空間場にある邪悪を排除しなければ、世の人々に真相を伝える時に効果がよくならず、人が受け入れにくいのです。 しかも、師について正法するには、正法の勢いが三界に来る前に、発正念で神通力を発揮し爛鬼を一掃することが必要です。

 世の人々に真相を説明して上げないと、たくさんの常人は淘汰されてしまいます。師父はどちらの生命をも大事にされており、今日世にいるどの生命も縁のあるもので、すべて済度される機会を与えられます。師父の偉大なる慈悲を円容しなければ、真の弟子、大法弟子とは言えません。真相を説明、世の人々を救うこと自体も自分の心性を練磨し、恐怖心をなくし、知恵を広め、宇宙の先例を開拓し、人間の正気を樹立する過程です。同時に自分の世界を円容することにもなります。

 だから、三つのことをするのは一つのことです。つまり、師父に按配されている道を歩み、自分の誓約を実現することです。三つのことが良くできたら、自分の道が正しく、偏っていないと証明できます。上手くできない場合は、きっと自分に執着心があり、黒手爛鬼に邪魔されたということです。

 大法は円容であり、三つのことがお互いに促進し合うことです。同修達よ、くれぐれも自分の良くできていない部分を無視しないで下さい。大法に照らし合わせて探しましょう。執着心と爛鬼は自分の中にいるのです!

 個人的な悟りなので、ご指摘をお待ちしております。

 2008年4月21日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/4/12/176186.html