日本明慧
■印刷版   

お母さんに会いたい

(明慧日本)私は黒龍江省鶏東県に住む法輪功修煉者・劉アン辰の娘です。今年、同じ年齢の他の子供たちがみな両親に見守られている中で、私は今、母さんに会いたいのですが、もう永遠にあえなくなりました。母さんは自分の信仰をもっていることが理由で、法輪功を修煉してから何度も不法に逮捕され、長い間煉功できなくなり、最終的に脳梗塞になり亡くなりました。

 私がとても小さいときから、母さんは高血圧、心臓病など、いろんな病気を患っていました。母さんの病気治療のため、すべての貯金が医療費として費やされ、最終的に持っていた住宅を売り払っても、母さんの病気は良くなりませんでした。しかし母さんが1995年から法輪功を修煉し始めてから、病気が突然消えてなくなりました。しかし1999年から中国共産党の法輪功への迫害が始まってから、母さんが外で真相資料を配布しているとき不法に逮捕され、48日間不法に拘禁されました。そのとき、私はちょうど6歳でした。

 2000年夏、母さんが再び不法に逮捕され、不法に拘禁されました。その後、母さんは国保大隊の警察官に殴られ、暴力を受けたため、血圧が200まで上昇し、そのため、母さんの両目が見えなくなりました。病院で緊急治療を受けましたが、父さんはいろんなところからお金を借りて母さんの失明した両目の治療に当てました。母さんはその後釈放されました。

 2001年の年末、母さんは再び国保大隊の10人の警察官により強制連行された上、家宅捜索が行われました。すべての法輪功の書籍が不法に押収されました。そのとき、私は9歳でした。

 不法に逮捕された母さんは再び暴力のため、血圧が300にまで上昇しました。その後入院してからも、母さんの両手と両足は手錠をかけられ、毎日警察官に監視されていました。その後、母さんの血圧が上昇し続けたため、釈放されましたが、毎日警察官が私の家に不法に侵入し、私生活が妨害される日々が続きました。母さんの病気もさらに重くなりました。

 2004年11月、母さんはこの世を去りました。その年私は12歳。どうすればよいのかわかりませんでした。

 数年間の中で、お父さんもさまざまな圧力のため、健康状態が非常によくありませんでした。母さんが何度も入院したため、お父さんは借金を返すため出稼ぎに行かざるを得ませんでした。結局、私は一時おばさんの家で寝泊まりしましたが、今は学費を支払うため、再び鶏東県に戻りました。

 今、私はすでに中学三年生になりましたが、いまだに住むところがありません。私はいつも一人で大変苦しいのですが、それでも母と会えないほうがもっと苦しく感じています。

 お母さんの娘:麗ナ

 2008年4月21日 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/4/7/175978.html