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二語三言:人心を羅列するだけでは修煉ではない


 文/大陸大法弟子

(明慧日本)明慧ネットに掲載された同修の体験文章を読むとき、常に同修の羅列した、一連の人心を読むことがあります。この同修は、私には争闘心、嫉妬心、怠ける心などがあると言い、あの同修は、私にはまだとても強烈な歓喜心、争闘心、求める心などがあると言います。毎回似通った言葉を読むとき、心の中で、常に言い現わせない気持ちを覚えます。同修がみな自ら内に向かって自分を探し、自分を厳しく修めることは良いことです。しかし往々にして、これらの人心を慣習的に羅列するのですが、これは修煉に取って代わることができるのでしょうか? できません。なぜならあなたはまだその根本に触れてないからです。私たちは本当に正念を持って、修煉の中、実際の行動でそれらの良くない人心を解体すべきです。もしただ慣習的に羅列するだけなら、それらはまだ取り除くことにはなりません。やはり少し注意した方が良いと思います。

 以上は個人がさとった僅かな考え方です。

  2008年4月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/4/21/176887.html