日本明慧
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選択


 文/大陸大法弟子

(明慧日本)法を正すことはすでに最後の段階になり、最後になればなるほど修煉者に対する要求はもっと厳しくなりました。現在、私達の地区では一部の中高年の同修はあまり精進しておらず、三退を勧める時恐れる心があります。相手が脱退しないとか、悪人の告発とかを恐れています。病業の難関が繰り返し現れる人もいます。特にある同修は法の学びがよくできていないので、甚だしきに至っては何が旧勢力であるのかをはっきり区別できません。修煉の道のりのなかで、どれが旧勢力の按排に従って歩んでいるのかをよく理解できませんでした。多くのやり方、考え方は明らかに旧勢力の按排なのですが、しかし自分ではよく分からないのです。迫害が現れ、病業が現れた後、あとを振り向いて原因を探し始め、修煉で回り道をしました。

 私は、法をもって師とすべきだと思います。師父は再三言及されましたが、修煉の人は、修煉の道中で、どの考え、やり方が旧勢力のものであるのか、どれが、法が要求したものであるのかをはっきり見分けるべきです。「多く法を学び、多く法を学ぶ」と師父は再三説かれたことがあります。法の学びが少なければ、理知ははっきりしなくなります。 明らかにあなたの言行はすでに法に基づいていないのに、しかし自分では分かりません。甚だしきに至っては、あなたはすでに旧勢力の按排の中に深くはいり込んでいるのに、自分では気づきません。現在、一部の同修は、修煉の状態がよくなく、すべてこの面での関係があります。ですから、師父の按排された法を正す修煉の道を歩むのか、それとも旧勢力の按排した破壊の道を歩むのか、自分のために未来を選択するのです・・あなたを待ち望んでいる衆生のために未来を選ぶのです・・

 人類社会は大きな染めものがめなので、名、利、情はいつもすべての人の心を汚染しています。修煉はだんだんとそれらを淡白にし、放下していく他ありません。常人はたくさんの執着と欲望があって、それは身を処して求めなければならないものです。あなたは片方の手に人のものを掴み、片方の手に佛を掴んで、二股をかけていれば、どのように修して成就できますか? 唐僧でさえ経書をもらうために81の難がありました。心地良く修煉して成就することがありえるでしょうか? 法輪大法は万古の機縁であり、得た以上決して放棄しないでください。放棄するとそれは永遠に残念な思いになるでしょう。

 三退を勧め、衆生を救うのは当面の急務です。この万金に値する多くない時間に、修煉者は如何に位置を置くかが、今、直面していることです。「恐れる心」は人心ではありませんか? 人心をもって人を救う効果はどうなるでしょうか? 私達の地区では三退を勧める大法弟子は、毎日やっている人がいます。ある村では家ごとに勧められています。ある所では、村中の一部の何人か以外はすべての人が脱党するようになりました。これらの同修は人を救うことを第一位に置いて、本当に「法をもって師とする」ことをやり遂げました。彼らは家庭をもっているのですが、告発を恐れないのでしょうか? これは法を正す時期の大法弟子の歴史的使命であり、当然のことなのです。ですから、師父の按排された道を歩んで、三つのことをしっかりと行わなければなりません。人を救い、旧勢力と人を奪い取ることを修煉の道中の当面の急務に置かなければなりません。

 もし表に出てきて、三つのことをしっかりと行うことができなければ、おそらくあなたはすでに旧勢力の按排した道を歩んでいるかもしれませんが、まだその恐ろしさを感じていません。旧勢力およびいくつかの乱神は、すべての大法弟子にそれらの要したものを按排しておきました。あなたがそれに符合すれば、それは次第にあなたのすべての執着を強化し、あなたを落とし或いは迫害して死なせます。同修よ、目覚めましょう。法を得た以上大切にしなければなりません。それを失ってしまうと、永遠の悔やみになります。修煉の前途は明るいのです。道は狭く、困難と障害がありますが、しかし代価を払うことを承知するのでさえすれば、あなたの永遠の生命は言葉で表しがたい殊勝なものになります。

 不適当な所がありましたら、同修の慈悲のご叱正をお願いいたします。

 2008年4月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/4/12/176339.html