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正念を発するときに眠くなることは小さなことではない

(明慧日本)(文:河南大法弟子)正念を発するときに眠くなるのは小さなことではない!このような現象は「主意識がはっきりしない」ことが身体上具体的に反映されているのである。この問題について同修らは《明慧週間》でずっと議論してきており、みなその害について十分認識している。しかし実際にこの関門を突破することは比較的難しく、正念を発するときに眠くなる現象は絶えず現れている。ひいてはとても長い間突破できないケースもある。特に労働教養所、刑務所から帰ってきた同修には、このような現象が特に普遍的に存在している。

 次に自分がいかにこれを突破したかについて述べる。これは自分を顕示する意からではなく、みなが共に向上でき、ともに精進できること、名実共に「法を正す時期の大法弟子」となり、更にしっかり師を助けて法を正し、更にしっかり各地、及び全大陸で円容不壊の全体をなし、更に多くの衆生を救い済度し、最後の道を円満させ、私たちの史前大願を実現することを目的としている。

 私も黒い巣から出てきた一人である。しかも間違った道を歩んだ。間違ったことが分かった後、強いられて路頭に迷うようになった。黒い巣から出てきたばかりの時は1回も正念を発することができなかった。特に夜零時の正念はまったく発することができず、それは眠くなるだけでなく、まるで身体の微視的な細胞さえもみな私を邪魔しているようだったからである。このような状態は半月くらい続いた。私は非常に悩み、いろんな方法を使ってみたが、あまり大きな改善はできなかった。同修が訪ねてきたとき、私はこの状態を彼に伝えた。切磋を通して、これは共産邪霊(《九評》が出版されてから、これは「党文化」の要素であると認識できた)が邪魔していると分かった。根本的な問題は探し出したが、肝心なのはいかにこれを突破するかだった。

 私のやり方はとても簡単で、双盤して座禅を組み、両手を結印し、正念を発するときと同じ姿勢を取り、口では小さな声で「法輪大法はすばらしい!真・善・忍はすばらしい!」と一時間念ずることだった。最初は口で小さな声で念じ、それから心で黙々と念じ、その次は意念で念じた。少しずつ全身の細胞も私と一緒に念じるようにさせた。実践の結果、(私の個人の感覚では)効果は非常にすばらしかった。1回目にすでに効果を収めた。私は一週間継続して眠くなる状態を徹底的に突破できた。《九評》が出版されてから、私は「党文化」の私の修煉に対する邪魔を認識でき、その時もまたこの方法で突破した。それからの修煉過程において、私は乗り越えられない心性の関門にぶつかった時、いつもこの方法を補助手段とすることによって、とても早く突破できた(主な方法は法を勉強し、内に向かって探究することである)。一言でいうと、2004年年末から今日まで、私は自分が正念を発するときの状態は比較的良いと思う。基本的に眠くなる感覚はなく、たまにおかしい感覚が現れても、その日のうちに私は時間を見つけて、この方法で私の空間場(特に身体の微視的細胞の空間場)を整理し、常に自分の空間場をきれいに、清らかにさせた。当然ながら、「修は己にありで、功は師にあり」(《転法輪》)で、私はただこのような願望を持っていただけで、すべては師父がやって下さった。(ここまで書いてくると、私は突然自分がこの世で最も幸せな人と感じた!)

 正念を発することは、師父が私たちに按配してくださった三つのことの中の一つである。揺ぎ無く師父を信じ、大法を信じ、揺ぎ無く師父を尊敬し、大法を尊敬し、師父がおっしゃるとおりに私たちが行い、人間のすべての観念を捨て、心には衆生を想い抱き、無私無我になれば、また私たちを邪魔できるものなどあろうか?

 2008年5月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/4/29/177447.html