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自分の位置を正確に探し当てよう


 文/山東徳州大法弟子

(明慧日本)きょう明慧ウェブサイトを開けて、師父の経文・『説明』を読みました。どうして大法弟子は今なお何度も同じ誤りを犯しているのでしょう。師父の経文の中に非難する意味はないのですが、これは私たち自身が問題に厳粛に対処していないことなのです。常人の情勢に執着することは、修煉者の行為に相応しくありません。常人の中の様々な活動は邪党の迫害に対する排斥と抗議ですが、決して我々修煉者のするべき行為ではありません。修煉者としての今の責務は真相を伝えて衆生を救うことで、他に何も求めてはいけません。常人の活動に執着することは、邪悪の修煉者に対する妨害であることを根本的に認識していないのです。一言で言えば、これらのすべては人心の執着を放すことができない状態なのです。

 私たちみんなが知っていることですが、今まで私たちが常人社会の活動に執着したとき、旧勢力は直ちにこれを口実にして迫害し始め、修煉者の命を脅かすことさえあったのです。この教訓は十分に私たちを目覚めさせたはずです。今度の師父の経文のテーマは『説明』ですが、修煉の過程での執着はどうしても師父自ら説明してからでなければ、わたしたちは放棄することができないのでしょうか。

 真相を伝えること、衆生を救うことなど私たちがなすべきことを見てみると、とても冷ややかです。師父の説法の中で何度も『九評共産党』を伝えて邪霊を一掃することに言及していながら、我々はそれに対する情熱と持続の足りなさを実感するのです。神韻芸術団は今までずっと海外で公演して、広範囲にわたって衆生を救い済度しています。『明慧週刊』に何度も神韻を広める為に体得した経験が掲載されました。まして神韻芸術の形式で衆生を救い済度する事は師父が参与されたのです。それに比べて、私たちはとても良くできていません。一部の同修は常人のしたことが反迫害に有利あるいは自分の執着することに熱中して、私たちのしたことが大法に符合しているかどうかを落ち着いて考えていません。常人の規模が雄大で勢いが凄まじい展開をし始めるのを見ると、興奮して参与してしまい、完全に常人の思惟に陥ってしまい、本末転倒になるのです。

 正法は今まで辿り着いて、私たちが何をするか、どうするかは、心の中はとても明白になるはずです。自分の位置を正確に探し当てて、人心に執着することを修めて、清浄な心理状態で衆生を救う、これこそ私たちが関心を持って積極的に考えるべき問題なのです。

 同修の皆さん、師父に更に私たちの修煉中の妨害のために心を煩わせることなく、私たちは本当に大法の中で熟していくべきです。

 2008年5月2日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/4/18/176698.html