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河南淮陽:一人の障害者の家族は残酷な迫害を受けた

(明慧日本)河南淮陽豆門郷大董営村の障害者・楊貴さん(別名楊得志)一家は、「真・善・忍」の信奉を堅持したため、9年の間に、中共政権から数回迫害をうけた。楊貴さんと弟の楊超さんは不法に判決を言い渡され、いまだに、労働教養所で迫害されている。妹の楊柳さんは警官に連行、強打され、叔父の簡永俊さんは不法に判決を下された。そのため両親は、ショックを受けて亡くなった。

 楊さん一家の悲惨な遭遇を話題にすると、当地の良識ある人々は涙を流し、中共政権を「悪者、最低の悪者」と罵倒した。

 楊貴さん(1962年生まれ男性)は、赤ちゃんのときに、重病に患ったが、貧しい家庭のため、治療ができず、足に後遺症が残った。長年、足が立たず、手と足を使って、歩いていた。少年時代は踏み台を使って歩いた。青年になってからは、木で簡単な松葉杖を作って歩くようになった。また、慢性腸炎、小腸腸炎、中耳炎などに罹り、さらに苦しくなった。妹の楊柳さんも重い気管支炎になり、なかなか治らなかった。楊柳さんの夫は97年に亡くなったため、仕方なく、小さな子供2人を連れ、実家に帰ってきた。

 1996年、楊さん一家は大法を得た。楊貴さんは自力で生活できるようになり、三輪車を作って乗り、項城街でカギ作りや、靴の修理をしていた。妹の楊柳さんも大法を修煉後、病気が治り、楊さんの家庭から笑い声が聞こえるようになった。近隣の人々も、この不幸な家庭が、幸せになったことをうれしく思っていた。しかし、1999年7月、不幸は突然始まった。中共政権が法輪功を弾圧し始め、それから、楊さん一家に悪魔の手が及んだ。

 楊貴さんは、村の人たちに、嘘に騙されないようにと、人々の未来のために、法輪大法の真相を伝えた。しかし、項城の警察は数回楊貴さんを連行し、留置場に監禁した。留置場に監禁されたとき、楊貴さんは悪人に松葉杖を奪われたため、ご飯を食べに行くときや、トイレに行くときは、手と足を使って歩かなければならなかった。

 2006年11月、楊貴さんが4回目に連行されたとき、項城の裁判所などが、周口の中共リーダ・毛超峰と申し合わせて、全然、法律根拠のない下で楊貴さんに4年の判決を下し、鄭州刑務所に移送した。

 2001年5月、妹の楊柳さんは豆門派出所警官・李西志、閻民に連行された。李西志は狂ったように楊柳さんの顔を殴った。楊柳さんの頭はボーとなり、歯がグラグラとなり(その後、歯4本が抜け落ちた)口と顔が腫れた。楊柳さんの両腕を背中にまわし、部屋の柱に手錠をかけられた。李西志は2人の警官に指図して、竹の棒で楊柳さんのお尻を、何度も何度も殴ったため、便がズボンから流れ出た。ズボンは破れ、お尻の筋肉がひどく破壊された。警官2人は左右から楊柳さんの足に力を入れて踏んだので皮膚がめくれ、肉が見えてきた。また、両足を蹴られ、楊柳さんはその場で意識不明になった。翌日、留置場に送られ、10カ月間不法に監禁された。留置場の警官・王培棟は傷だらけの楊柳さんに大きな足かせをかけ、その足かせを引っ張って、楊柳さんを苦しめた。

 楊貴さんと妹の楊柳さんが不法監禁中に、父親は何度も釈放を求め、お金を借りて、罰金を支払った。また数回に亘り恐喝され、心身ともに疲れ果て、2001年12月、亡くなった。

 弟の楊超さんは、優しい男の子で、数回連行されて監禁された。長期に居場所がない状態だった。再び連行された楊超さんは、7年の判決を言い渡された。楊貴さんの叔父・簡永俊さんも法輪功修煉者であり、2007年7月1日夜、警官らに連行され、不法に4年の判決を科された。現在、淮陽留置場に監禁されている。

 楊貴さんの70歳すぎの母親・簡俊蘭さんは、何回もショックを受けたため、2007年12月に亡くなった。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年5月8日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/5/4/177778.html