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7年間の資料点での生活から見た私の修煉の歩み(三の下)

(明慧日本)

 技術サポートへの期待と依存

 家庭資料点の発足自体は難しくないのですが、パソコンやそれに関する技術が分からないから難しいという同修がいるかも知れません。私は、技術はそんなに難しくはなく、心性の向上こそ難しいと思います。技術の習得はできますが、心性の習得はできません。心性が向上するためには修煉するしかありません。心性の基準を満たさなければ、心性以外のすべての要素が揃っても、結局何も揃っていないことと同じです。

 実際にそうです。すべての条件を満たしているかのように見えた同修が前進できず、逆に何の条件をも満たしていないかのような同修が意外に家庭資料点を発足させた事例が多々あります。

 家庭資料点を発足させたいという同修の中で、自分が知っている範囲では、95パーセントぐらいの同修は、誰かパソコンに詳しい同修に教えてもらえば、資料点の発足ができると考えています。これは師父が『転法輪』の中で述べられています、「自分が直伝を得ていないから、もしどこかの先生が素晴らしい技、高度な手法を教えてくれれば、自分も功が伸びるのにと思っています」。我々も往々にして、こういうことを常人のことと同じように見なしてしまいます。

 私はできました

 技術について、自分の修煉の過程と体験をみんなと交流したいと思います。

 技術を勉強するために、私は最初に地方の同修・王さんに会いに行きました。王さんに会ったとき、私はすぐに(技術の)知識の有無について聞かれました。私が、いいえ、基礎知識など一切知らないと答えた時、王さんは長い溜息をつき、顔には難色が現れました。

 実は、私が王さんと会う前に、王さんはもう1人の同修に技術を教えていました。その同修はそもそも基礎知識がなかったため、半年経ってもできず、王さんは本当に焦っていました。だから今回基礎知識のない私が来た時、王さんは難しいな、少なくとも半年間くらい掛かると思っていました。

 私は中卒の学歴しかありません。以前はパソコンに関心と興味を持たなかったため、パソコンに一度も触ったことがありませんでした。初めてマウスを使う時、まるで手で一匹の本物のネズミを掴まえるかのように、力を入れてマウスをしっかり掴んでいました。マウスでクリックする時は、全身で力を入れて、まるで拳をつき出すみたいにやりましたが、ただ目標に的中できませんでした。この状況を見て、王さんは凄い汗をかき、「今回来た人は本当に凄いぞ!」と感じたようです。仕方なく、王さんは私の手を取って、マウスの操作を練習しました。そんなに力を入れてはいけないと王さんは言いました。マウスを操作する私の右手は、まるで机の上にくっ付いているように、マウスを押しつけていました。王さんはこの様子をみて、笑ってしまいました。

 数日経つと、王さんはパソコンに関する勉強用ソフトを購入し、私に学ばせるため、そのソフトを持ってきました。私はまずマウスのクリックを練習するゲームからやり始めて、その後やっと操作できるようになりました。

 数日後、私はパソコンについてまったく分からなくなったように感じました。目の前にノートパソコンが置かれている以外、パソコンについてのすべての知識を忘れたかのように、ますます分からなくなっていきました。王さんに教わった直後、直ちに何を教わったのか忘れてしまいました。王さんは、「このまま続くと、あなたがパソコンを操作するのではなく、パソコンがあなたを操作するようになります」と苦笑しました。一つの練習課題を30回以上繰り返して練習して初めて次のステージに進むことができました。しかしステージの練習が終わって、王さんが私に、もうできましたか、と聞くので、私は直ちに、もうできましたとうなずきますが、練習の成果を試すため、もう一度操作してみるように王さんに言われると、私はただ両手をノートパソコンの上に置いて、目がぼうっとしてきて、何も思い出せません。そこで、王さんは私に「もうできたと言ったのに、なぜ手は動きませんか?」と聞くので、私は、「どうやって操作したのか思い出せません」と答えました。すると王さんは、「あなたは、もうできたと言ったではありませんか?」と言いました。私は、心の底から、「できるようになりたい」と望んでいたので、必ず、「もうできた」と答えていました。なぜなら、私は、もうできたという自分の固い信念を言いたかったからです。

 王さんが何回も教えて、何回聞いても、私は常に「もうできた」と答えていました。実はその時まだできていませんでした。しかし私に教えることでもうこれ以上王さんを困らせたくないから、王さんを早く楽にしてあげたいと思い、さらに自分が早くこれらをできるようになりたい、という強い信念を持てるように、どんなに難しく感じても、私は一度も、「まだできない」と言ったことはなく、常に「もうできた」または、「できたけど忘れた」と言っていました。

 およそ1週間経つと、私は突然はっきりと分かるようになり、脳内の物質が入れ替ったようにすっきりしました。教えられたすべての新しい知識についても、昔のように初めて見るかのような感じが消えました。私は自信を感じました。その後気づいたのですが、師父はすでに、私が追い求めていたこれらのすべてをすでに授けてくださっていたのです。

 私は一日の大半の時間を使って、10時間以上続けてパソコンを勉強するソフトの内容を、イヤホンをつけて聞いていました。また、それと合せて、王さんが私のために買ってくれたパソコン関係の本を読んでいました。一日経つと、耳がイヤホンに押されて痛く、夜、王さんが寝ている時でさえ、私は横になって昼間王さんから教えられた中で、自分が解決できなかった問題を考えていました。そのため、毎日せいぜい2時間しか寝ませんでした。

 王さんに画面の構成操作を教わった時、私はある難しい問題に会いました。王さんも解決できず、2、3日経っても克服できませんでした。私はこの問題を考えながら寝ていました。夢の中で、誰かに「そこをいじればいい」と言われました。翌朝、夢の中で教えられた通り、「ページ設定」の一つの設定を変えると、問題が解決しました。王さんは驚きました。王さんのこんなに嬉しそうな笑顔を初めて見ました。「私は経験が長いですが、この問題を解決できず、結局あなたがこの問題を解決できた」と王さんは言いました。

 今回の経験には凄く励まされました。その時は、知恵がなければ師父が知恵を与えてくださるという法理をまだ知りませんでした。技術の問題を克服する鍵は「真剣さ」にほかならないと信じます。決意と粘り強さ、師父と大法を信じる度合、大法弟子としての責任感と使命感および衆生を済度する緊迫感などすべてが修煉者の「真剣さ」に表れています。この「真剣さ」は正念と心性の表現だと思います。「功の高さは心性の高さ」で、師父はあなたの心性に従って、人を済度するときに必要な知恵を与えてくださいます。知恵は心性に依存していますが、「真剣さ」も心性に影響しています。

 その後、明慧ネットにメールで記事を送るとき、送信ボタンを押さなかったのですが、メールがちゃんと届いていた奇跡がありました。大法弟子が法を実証するために必要な知恵は師父と大法から贈られるのです。

 仕事上の関係で、25日後に自分の資料点に戻りました。王さんに重圧を与えたくないし、取り急ぎの仕事もあるし、涙ながらに王さんの所から離れました。その時、自分の頭が悪くて上達があまり出来ず、同修の時間も多く取り、結局無駄になったと思って、必要な技術を早くマスターしたいけれど、実際に自分の勉強はなかなか進んでいないと悲しく感じていました。技術の勉強は始まったばかりで、残りの道は長く自分の上達も遅いけれど、諦めずに頑張っていきたいと思っていました。資料点に戻った後に、技術に詳しいほかの同修に教えてもらったり、本を買って独学をしたりしていました。技術に詳しい同修を知っていたらぜひ紹介してほしいと回りの同修に頼みました。「苦しいけれど、楽しかった」、これがその時の私の気持ちでした。何らかの知識を教わった場合、まるで何か宝物を得たように嬉しかったのです。同修の誰かが教えてくれるのは法理から見て分かっていましたが、その同修に深く感謝して自分が教えてもらうチャンスを大切にしました。修煉者の誠意も心性の要素の一つで、これも仏性の表れだと思いました。

 我々は技術担当の同修に対して、技術のレベルが高いということしか意識せず、その技術を習得するまでに払った同修の苦労をあまり考えていません。私が知る限りでは、技術担当の同修の中に、一部の人は技術に詳しいですが、実際には新しい人です。僅かな人がもともと技術に詳しい人でした。修煉の中で、迅速に上達できたのは新人が殆どです。学歴が高くないし、基礎知識もなかったし、頭が良いかというとそうでもなかったのです。ただ、他の同修が想像もできないほど苦労して努力し真剣にやったから、成功したと思います。

 (続く)

 (資料点):中国共産党の法輪功への弾圧が激しくなる中で、各地の法輪功修煉者によって自発的に設立され、真相資料などを作製する拠点のこと。

  2008年5月11日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/4/26/177107.html