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皆に遅れをとらないように神になる道中で奔ることが分かった


 文/台湾大法小弟子

(明慧日本)私は今、十四歳です。法を学び始めて五年になります。私の修煉の収穫を、師父の弟子同士で、分かち合いましょう。

 私が法輪功を始めたのは、おばさんが母に、大法を教えたからです。始めたばかりの時母は、家の中でばかり煉功をしていました。最初に母が煉功をしていた時は、何をしているのか分かりませんでした。その後、母は自分が、法輪功を始めた事を教えてくれました。この時は、台風で、学校を休んでいました。この休みの間に、母と一緒に一日中煉功をしました。この時から、私は修煉の道を歩み始めました。修煉を始めて四ヶ月ぐらい経った時、母は交通事故に遭いました。しかし母は、危険を乗り越えました。そのため、母はいっそう大法の修煉を頑張りました。

 その後、中国共産党に迫害されている法輪功学員を助ける為に、2004年に行った台湾を一周回る自転車の旅も覚えています。その時他の大法弟子が、「あなたは、毎日学法や煉功をしていますか?」と、聞いてきました。その時は、答えることが出来ませんでした。なぜなら、私の妹は、私と同じくたまに法に適わない時があったため、よく他の人に問いかけられていたのです。「真」に適うようにしたかったのですが、完全にできていませんでした。そのため、その時は何も答えませんでした。

 2007年に私は、母と一緒にニューヨークマンハッタンに行き、神韻芸術祭のチケットを売る手伝いをしました。私は、スイスから来た16歳の大法小弟子と一緒に学法をした時、彼女と交流をしました。彼女は、中国語が、分かりませんでした。そのため、中国の歴史や物語を知りませんでした。聞いた事も無さそうでした。そのため、彼女が、法を学ぶことは、とても大変でした。でも彼女は、毎日頑張って学法をしています。段々彼女は本の中の意味を理解するようになりました。彼女は最低一日一講の『転法輪』を読んでいると言いました。私は、とても感服し、しかも自分の過ちを責めたり、恥ずかしく思いました。なぜならば、私は小さいころから台湾で育ったので、毎日中国語を読んでいるのに毎日一講は読んでいないからです。

 他の人との差を見つけたときから、私も一日一講読もうと、思いました。台湾に帰ってからは、私も彼女のように一日一講読み始めました。それは、私が修煉を始めてから最も法の適った一つのことです。

 今年の初めにマンハッタンに行くことも、師父の慈悲のお陰です。最初は、ある修煉者が、読書会で、このことを言及しました。私達は、それを聞いて、マンハッタンに行きたいという一念が浮かびました。結果、母のマネージャーが、母に長い休暇を与えてくれて、私達は、マンハッタンに行けました。マンハッタンでの25日間は、私達にとって大きな収穫がありました。

 私達は、そこで狭い部屋に住みました。私は、住み心地よい場所を求める心を克服しなければなりませんでした。他の大法弟子は、とても忙しいので、ひとりでぎこちない英語で神韻芸術祭を紹介しなければなりませんでした。そこで立派なスーツを着たアメリカ人と話した時の恐怖心も克服しなければなりませんでした。そして神韻芸術祭を紹介するためにも頑張って英語を学ばなければなりませんでした。またチケットをお勧めするためにさらに、長い時間にわたり道で龍舞や獅子舞を行う訓煉に耐えなければなりませんでした。私は、背が高いため後ろの方に立たされました。ほぼ背を丸めて前の同修のテンポを合わせて行かなければなりませんでした。腰がとても辛かったし、前も見えませんでしたが、前の人の足の調子を信用していたので試しながらも、技を工夫して出しました。

 又、神韻芸術祭を鑑賞して、自分の利益に対する心や嫉妬心を見つけ出しました。それは、私が他の大法弟子に譲った席がVIP席で自分の席は、出演が近くで見られない位置だと知ったとき、心が大きく揺れました。その後私は、自分は、発正念のために来たと思い出した時、すぐに私は、心を修めました。

 神韻芸術祭の歌手・関貴敏さんが歌った『私は誰』の歌詞の中の「皆に遅れをとらないように私は神の道中で奔ることを知りました」は、私の心を打ちました。私は、突然私も本当に修煉をしっかりしなければならないと思いました。そして今までの足りないところを補い怠けずに頑張らなければならないと思いました。もう一日一講でも足りません。だから絶対もっと頑張って皆についていき、一人の合格した大法小弟子になりたいです。

 2008年5月11日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/5/29/155812.html