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遼寧省:呂仁清さんは3カ所の刑務所に送られ虐待により死亡

(明慧日本) 2008年3月10日、呂仁清さんは危篤状態に陥り、家族の強い抗議によって、やっと鉄嶺刑務所から鉄嶺結核病院に運ばれ救急手当を受けた。しかし、長期にわたる精神的、肉体的な虐待や拷問により呂さんの身体はすでに回復することは叶わず、2008年4月19日、冤罪を晴らすことなくこの世を去った。

 呂仁清さん(39歳男性)は、新賓県馬架子村の住民。1999年3月から法輪大法の修煉を始めた。以前は、粗悪で凶暴な性格だった。また、酷い頭痛に悩まされていた。医師の診断によると、三叉神経痛で治療の効果はあがらず苦しんでいた。その上、お金にかなりの執着があった。修煉し始めてからは、常に「真・善・忍」の信条に従い、人には優しく思いやりを持ち、人との付き合いも良くなった。村の人々は皆、呂さんの変化を喜び、呂さんとの仲もますます良くなった。修煉後の呂さんは金銭にも淡泊となり、困まっている人を助けていた。また悩まされていた持病の頭痛も良くなり完治した。大法の受益により、呂さんは心から師父に感謝していた。

 1999年7・20以後、不法な弾圧が始まると、大法のお陰で自分がよくなった呂さんは、納得できず北京へ陳情に行った。北京についた途端、まだ投書陳情局に入らないうちに現地の警官に連行され、新賓県に移送され監禁された。2週間後、呂さんは再度北京へ行った際、数日後の9月9日に再び新賓へ連行され、不法に2年の労働教養処分を科され、撫順労働教養所に監禁された。

 その後、何度も不法に家宅を捜索され連行されるなど、呂さんに対する迫害は続いた。監禁中は殴打、拷問を強いられ、撫順第二留置場、瀋陽大北刑務所、遼陽カシ刑務所などに移送された。

 カシ刑務所では拷問され、殴打、独房監禁、暴力による灌食・・・など酷い迫害を受けた。 

 2004年9月7日、悪辣警官の指示の下、受刑者3人は、呂さんを秘密の場所に引き摺って行き、袋叩きにした、その時、呂さんは肋骨を2本骨折したため、自力では歩けず、受刑者3人が呂さんを事務室まで運んだ。呂さんは、「共産党がマフィアのやり方で私を迫害した・・・」と言ったが、法輪功を管理する悪人・許長海は「誰がやったの?知らんよ」と弁解じみて言った。

 このような苦しみはずっと続き、さらに強制労働も科せられた。2007年末、呂さんは酷い肺結核に罹り、危篤状態に陥った。しかし、刑務所側はずっと出所を許可せず、2008年3月10日、家族の強烈な抗議の下で、やっと鉄嶺刑務所から結核病院へ送った。しかし、胸に溜まった水が心臓を圧迫しており、医師から3度目の「危篤状態」と下され、手術をおこなったが、呂仁清さんは2008年4月19日、冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年5月13日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/5/12/178240.html