日本明慧
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7年間の資料点での生活から見た私の修煉の歩み(四の中)

 (明慧日本)

 師父がこのすべてをくださったのです!

 私は技術面で比較的よくできたため、多くの同修は技術面の困難がある時に私に解決を求めます。自分の修煉という角度からみると、実はこれは深刻な「怠慢と依頼心」です。多くの同修は設備に問題が発生すると、第一に思い付くのは、自力でどうやって問題を解決するかではなく、どうやって技術を持っている同修を探して問題を解決するかなのです。このように全体で強大な「怠慢と依頼心」の現象が現れ、完全に技術の難しさを恐れる執着心に陥ります。設備に問題が生じたら動揺してしまって、技術がないのでどうしましょう、技術を持っている同修が見つからないのでどうしましょう、と困ります。しかし、自分の「怠慢と依頼心」という執着を取り除かなくてどうしましょうとは、反省しません。あなたも彼も設備に問題が生じたら技術を持っている同修に頼り、みんなも長期にわたり資料点の同修、協調人の同修、技術を持っている同修に「怠慢と依頼心」を向けるなら、これは全体のとても大きな漏れになるのではありませんか? この小さい「怠慢と依頼心」は一部の同修の執着心を助長して、大きい「怠慢と依頼心」の心は彼らの苦難を招くのです。

 数年来、先頭に立って進んでいた同修が絶えず迫害を被ったのは、全体のこの異常な状態と関係しています。正法の勢いは今日まで来たところで、全体的に法の基準からずれる現象が改善されていないだけでなく、ますます深刻になった部分もあり、「人心」が当然なことになった部分があります。たとえば、ある同修は家庭資料点をしたくない時に、真相資料はあれらの仕事を持たない人、家庭のない人、流浪生活をする人、「扶養してもらっている」人がやるべきだ、と言いふらします。逆に言うと、あなたが仕事を持たず、家庭がなく、流浪生活をしており、「扶養してもらっている」状態の時、あなたは安心して真相資料を作ることに専念できますか?

 資料点の同修を長期に仕事を持たず、家庭を持たず、流浪生活を送らせ、「扶養してもらう」状態においてもいいのですか? これは邪悪を手伝って同修を迫害しているのではありませんか? これらの資料点の同修は数年来黙々とすべてをやっているのは、彼らが自分を、同修を、すべて真の大法弟子として見なしているからです。彼らは意図的にこれを説明していないですが、歴史はこのすべてを見ています。しかし、うまい方法で自分の「自らを守る」心を隠そうとする同修に対しても、歴史はあなたの言ったこととやったことをすべて見ています。あなたが持つ「人心」と執着は「怠慢と依頼心」の中で自然に消えていくことはなく、修煉の成果も「怠慢と依頼心」の中から出てくるわけがありません。同修の黙々とした犠牲があなたの「怠慢と依頼心」という人心を生み出したのですか? 同修の黙々とした犠牲は絶対に間違ってはおらず、間違っているのは、彼らの善があなたの人心に利用されたこと、およびあなた自身が自分の修煉に責任感がないことです。

 ある時期、私は次から次へと現地と周辺地区の資料点の印刷機をメンテナンスする以外、他の大法の仕事がすっかりできなくなりました。だんだんと、これらの問題はただ技術面の問題と設備自身の問題だろうか、と考え始めました。いや、間違いなく根本的な問題は同修自身にあると思いました。設備の修理を手伝う中で、同修が使用する設備の状態は同修自身の状態を反映していると気付きました。これはとても正しい判断です。設備自身の正常な老朽化でない限り、すべての問題は間違いなく同修の心性に由来しているのです。だから私は設備を修理する時、同修に心性面での原因を探すように注意しています。私の意見に納得しないある同修は問題が出ると機械に原因を探し、最後には3台のプリンターともおかしくなりました。そしてプリンターが正常になった時コンピュータの調子がおかしくなりました。多くの同修もこんな現象に出会うことがあります。設備に問題が起こったものの、技術のできる同修がやってきたら機械の調子がよくなり、同修が帰ったらまた壊れます。次回、同修が来たらまたよくなり、帰ったらまた壊れます。若しくはプリンターを修理したらコンピュータが壊れて、コンピュータを修理したらまたプリンターが壊れ、きりがありません。

 これを見て、同修自身がレベルを高めないと、全体の状態は改善できないと気付きました。しかし、技術を持っている同修がこれを見抜くことが出来ないと、全体的にこの異常な状態に引きずられて迫害を蒙りやすいのです。資料点の同修を含めて、あれだけ多くの技術をやる同修が迫害を被ったのは、そこにあると思います。技術を持つ同修或いは資料点の同修、あるいは地域の同修の心性が高くなければ、彼らが求められる仕事はいくらでもあることを、今私は身を持って分かりました。これは過言ではなく、今私はこのような状態にいます。同修に「時間があるか」と聞かれ、「ある」と言えない時もあります。「時間がある」と答えたら、1週間分の仕事が集まってくるからです。資料点の同修同士はいつも「多く学法します。いくら忙しくても学法をします。私達の仕事はいくらでもあり、寝食を忘れてやっても永遠に終わらないからです」と互いに言い聞かせます。私はよく今月の仕事がまだやり終えていない時にすでに翌月の仕事を計画しはじめています。学法の時も時々、今年の上半期に比較的重要な仕事とプロジェクトに力を入れて、下半期になったらよく学法しよう、と思っています。学法の時よく法を学びながら心の中で仕事のことを考えています。 

 資料点の同修の学法の質が、私はとてもよくわかります。それは学法ではなく、「渇きを癒す」ことなのです。同修が「多く学法してください」と注意してくる時、私は、あなたのアドバイスは非現実だ、慰めに過ぎない、とよく思います。在宅の同修のやるべき仕事が多く資料点の同修のところに押しつけられてきたのも原因の一つです。例えば、私達の近所の地域に約30〜40人の同修がいて、家庭資料点が三つあります。つまり、プリンター3台とコンピュータ3台があり、中に1台のコンピュータがインターネットにアクセスができます。しかし、彼らは字を入力する時間がないので、「脱党・団・隊」声明の発信でさえ資料点の同修に押し付けます。これは彼らの人心ではありませんか? 同修の善を利用しているのではありませんか?

 またある技術を持つ同修は、プリンターが壊れて立ち上がらないと聞いて、長時間車に乗って見に行きました。結局、ただプリンターの電源コードを挿していないだけでした。このことからも同修の「怠慢と依頼心」がどれほどひどいか分かります。少しも頭を使いたくないので、「用があれば同修に頼む」意識だけがとても強いのです。

 どのように全体の様々に異なる人心に直面するかも、技術を持つ同修と資料点の同修にとって無視してはいけないことであり、彼らがまっすぐに歩むべき道だと思います。1人で百人千人の同修の様々な人心に直面するのは、かなり厳しい試練です。自身の心性を認識・把握する以外、この莫大で複雑な環境をも認識・把握しないといけません。技術を持つ同修、協調人、資料点の同修が絶えず迫害を被るのを見て、私は絶えず考え、分析しました。他の同修にも指摘された彼らが持つ執着以外、彼らが置かれている環境にも原因があると思います。

 たとえば、多くの技術を持つ同修と資料点の同修が迫害を被る直前の時期は「ぼんやり」した状態に陥ったと、回りの良い状態にいる同修が明らかに感じたのです。しかし、その同修はその時まったく意識していないのです。はっきり言うと、その時邪悪は彼に近づいていますが、彼自身は分かりません。当時、彼を救える唯一の方法は学法です。これは在宅の同修にとってとても簡単な事ですが、彼らにとっては、むしろ貧乏人が新年や節句の時だけお腹いっぱい食べられるようにあり難いことなのです。

 私もよくこんな忙しい状態に陥りますが、ブレーキをかけて自分の状態を整えることができます。これは資料点で長年蓄積した「経験」で、数年来、数十人の資料点の同修が迫害に遭ったことが残してくれた血の教訓でもあります。実は多くの地区で、同修が迫害を被る前夜、彼自身が置かれた環境が彼の退路を絶ったのです。もし彼が退路を選んでしまったら、たくさんの同修が自分に真相資料を求める時にどうすればいいでしょうか? 同修に怠惰で、責任感がないと言われた時どうすればいいでしょうか? 現地と周辺地域の設備の修理が至急必要になり、自分が呼ばれたらどうすればいいでしょうか? 同修に「熱心でない、人助けをしない」と思われたらどうしたらいいでしょうか? もし彼が仕事を暫く止めて、今何もせずに学法したいと言ったら、「扶養してもらっているのに」ときっと言われます。

 数年前、ある協調人は、我々の資料点が彼の地域に必要な千人分ぐらいの真相資料をタイムリーに提供できなかったため、がらりと顔色を変えて我々の資料点のある同修に「あなた達は1日中ここにいるのに、こんなこともできないのなら、一体何のためにここにいるのか」と責めました。その同修は協調人が帰ってから、泣きながら資料点を離れたいと言いました。この協調人は2005年まで、至る所で小型資料点を発展させることに反対して、プリンターが速くても資料点の一体機に及ばないと言いました。彼は何年間も修煉を積んでいるのに、覚者が持つべき「人のことを優先に考える」本性まで悟ったのでしょうか? 多くの同修の交流文章に資料点の同修が「学法を重視していない」、或いは「事を務めることで修煉に代える」と言っていますが、ここで耳が痛い話を言わせてください。全体の「怠慢と依頼心」のせいで、資料点の同修は正常な学法を持続できなくなっているのです。無数の同修が真相資料を待ち、無数の衆生が済度を待っていると思ったら、彼らは落ち着くことができなくなります。

 彼らが仕事をひたすら前に急がせるのは、世間の人々に1日も早く真相を分かってもらって、1日も早く迫害を終らせるためです。彼ら1人で10人、100人分の仕事を忙しくやった背後に、どれだけ多くの同修の「怠惰と依頼心」があったでしょうか? このような全体的な環境を生じさせた同修が、彼らの苦難を助長しているのではありませんか?

 私は資料点の設立を手伝う前に、我々の全体的な環境の中にこのように複雑な「人」の要因が存在するとは思いもよりませんでした。昔「共に戦って」、それから倒れた同修を思い出すと、私の涙は止まらなくなります。彼らは昔、同修と衆生のために黙々と自分のすべてを捧げて、厳寒と酷暑を忘れ、昼夜を忘れ、自分の寒さと飢えも忘れました……このことから私は、大法弟子の慈悲は口で言うものでなく、心と実際の行動に現れるものであり、大法弟子は正法の中で自らの行動で自分の慈悲心を表していると、一層分かるようになりました。

 (続く)

 (資料点):中国共産党の法輪功への弾圧が激しくなる中で、各地の法輪功修煉者によって自発的に設立され、真相資料などを作製する拠点のこと。

 2008年5月13日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/4/27/177108.html