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「7年間の資料点での生活から見た私の修煉の歩み」を読んでの感想


 文/済南弟子

(明慧日本)4日間連続で同修が書いた「7年間の資料点での生活から見た私の修煉の歩み」を読みました。読みながら私の気持ちは重く沈み、恥ずかしくなりました。そして資料点の同修に心から敬服しました。

 以前も資料点の同修が書いた彼(彼女)らの修煉と生活の状況を読んだことがありますが、当時、同じく師父の弟子である彼(彼女)らは偉いと敬服していました。しかし、今回の文章は詳しく彼らの生活と修煉の状況を述べているので、読んで気持ちが重くなりました。この同修が暴き出した一部の修煉者が積極的に動かず、「他人が動くのを待ち、他人に頼る」心、大法の仕事に力を注がない状態を見て、私は恥ずかしくなりました。なぜなら、私もそのような状態の修煉者の1人だと思うからです。もしすべての同修がこの同修のように、完全に大法の考えに立って、大法、同修、自分自身、衆生に対して責任感を持ち、待たず、頼らず、個人修煉と全体の協調上でこんなに大きな「漏れ」を出さなければ、今日までにこれだけ多くの同修が捕えられ、迫害されることはなかったと思います。

 同修が書いた衆生済度と個人修煉の中で、自分自身を高める体験文章を以前もたくさん読みました。中に現地に存在している問題を暴露した文章も少なくはありませんが、今回の同修のように問題に直面して、一部の同修が抱える「人」と「神」の違いほど深刻な不足をこんなに深く、厳粛に指摘したのは、初めてです。同修の皆さん! いかなる言い訳も師父が言われた「三つの事」を実行しないことも、私達の取り除くべき「私心」です! これを読んだ後の感想文をどう書いたらよいのか戸惑うばかりですが、胸に石を積んだようにとても重い気分です。

  この文章から、著者である同修が堅持した正念、衆生済度に正念を持たない同修の暗い目つき、私自身のよくない状態が見えてきました。自転車に乗っている時、同修が豚の頭の肉を買う部分を思い出して、悲しくて涙が流れました。もしこの同修が、自分がやったことを顕示心とか単に苦難を訴えていると思われないかとか、同修の不足を指摘すれば大法のイメージを壊すのではないかということを恐れず、早めに資料点の状況を書いていれば、同修の皆さんはもっと早く理解して改善できたのではないかと思います。

 先日、済南地区にもいくつか問題が現れました。同修の間に互いに隔たりが生じて、技術ができる同修は大きなプレッシャーを感じ、あちこち奔走して疲れ果て、同修内部で大きな動揺が生じました。 

 この同修がみんなの不足を率直に指摘したことに感謝します。同修の皆さん! 一緒に精進しましょう。資料点の同修がより多くの学法時間を確保できるように、私達はやるべき仕事をもっとしっかり務めましょう。

  2008年5月15日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/5/2/177639.html