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張玉芳さんは武漢の何湾労働教養所で迫害され顔面を骨折

(明慧日本)張玉芳さん(60数歳)は、武漢青山の法輪功修煉者。99年上京して陳情に行った後に、「610弁公室」、公安、派出所、現地政府はひっきりなしに張玉芳さんに対して嫌がらせをした。張玉芳さんは教育を受けたことがなく、拘禁された回数が多いため、すでに迫害された回数、時間、場所を覚えていない。彼女は二度の不法な労働教養をさせられたことだけ覚えている。はっきり覚えているのは第2回に何湾の労動教養所の8大隊に送り届けられて受けた迫害である。

 張玉芳さんは1995年に法輪功の修煉を始めた。修煉する前、彼女は体が弱く病気がちで、人と争いがちで、事が起こると損をすることを承知できず、いつも負けたくなかった。彼女の最も深刻な病気はB型肝炎、胃病、神経衰弱などで、漢方と西洋医学と民間の治療法など、あらゆる方法をすべて尽くし、お金も多く使ったが、病気の好転は見られなかった。家族と知人はみんな彼女の人生はもう長くないと思っていた。法輪功を修煉した後で、張さんは大法の基準の「真・善・忍」を自分に要求した。彼女の顔は幸福で慈悲深く優しいほほえみに満ちて、語気は温和になり、事が起きても他の人のことを考え、その上彼女の多くの疾病は自然に治った。精神は活発になり、歩いて仕事をするなど若い人もすべて張さんに及ばなかった。家人と近所の人は張さんがよい人に生まれ変わったようだと褒めた。

 しかし99年7月20日、中国共産党は法輪功に対して天地を覆うほどの罪に陥れた。張さんは1人の受益者として幾千幾万の法輪功修煉者と同じように、各種の圧力に屈せず、北京に行って修煉者の体得で政府に、人民の真実の情況を反映して、法輪功が無実の罪を被っていることを明らかにした。政府はこの真善忍を信ずる善良な庶民の話を聞いてくれないだけではなくて、かえって善良な言行を迫害の根拠にした。

 2002年10月、「610弁公室」のひと群と現地の幹部は彼女の家に着き、張玉芳さんの家族をだまして、彼女を会議に迎えて、2日間勉強して返すと言った。家族は彼らのうそを信じて、張玉芳さんを彼らと一緒に行かせた。張玉芳さんは悪人のやりくちを知っていて、彼らと歩かなかったが、彼らの何人かは強行に張玉芳さんを3階から引き降ろして、車の中に押し込んで、洗脳クラスに連れて行き迫害した。 

 洗脳クラスで、彼らは毎日張玉芳さんに信念を放棄するように強いたが。張玉芳さんは「真・善・忍」を修煉するのは間違っていないとかたく信じた。悪人達は各種の方法を使っても、彼女が動揺しないことを見て、20日後、張さんを不法に1年の労働教養をさせることにして、何湾の労働教養所の8大隊に送って迫害した。

 8大隊の法輪功迫害リーダ・黄虹は、江氏グループについている法輪功迫害の積極分子だ。黄虹は残酷無情な女で、法輪功に迫害の手段を選ばない。張玉芳さんを強行して「転向」させようと、黄虹は6人の若い受刑者を派遣して、張さんの腕や手をねじり、ペンを彼女の手に押しつけて「転向書」に署名させた。張玉芳さんは力の限り抵抗して、彼らの卑劣な行為を阻止した。

 黄虹は張玉芳さんが「転向」の目的を達成していないことを見て、人を派遣し交替して彼女を眠らせず、張さんを13日間昼夜立ったままに強制して、動くことを許さなかった。

 その後張玉芳さんの目の前は暗くなり、地面に転んで、鼻、顔は粉砕骨折になり、地面に多くの血が流れた。悪人達はよくない影響を恐れて、受刑者に急いで血をきれいに洗い流させた、彼らは1300元のお金を使って張玉芳さんを病院に入院させて手術をした。しかも家族に知られるのを恐れて、面会を許さず、その後家族が服を送る時断固として会いたいと会った後に、張玉芳さんの顔つきが腫れて形相が変わったのを見た。悪人達は事実を覆い隠して、家族をだまして、眠っていないので、意識がぼんやりして倒れてこのようになったと言った。張玉芳さんは家族に、彼らが私を寝させないように強制したと言った。 

 それからまた張玉芳さんを何湾の6大隊に移送し拘禁して迫害した、6大隊でまた彼女を13日間牢屋に閉じ込めた。牢屋は暗くて湿っぽくて、蚊が多くて形容することができない。彼女は扇子がなく、自由を奪われ、毎日ひどい暑さと蚊が刺すことに耐えて、苦しんで辛抱しただけでなく、毎日教育者に交替で一人一人に立ち向かわされ、休むことを許されなかった。張玉芳さんの意志をすり減らして、張さんに修煉を放棄させようとしたが、張玉芳さんの意志が固いため、悪人達は張さんがずっと動揺しないのを見て、1年間拘禁して、やっと釈放した。

 2008年5月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/5/12/178271.html