日本明慧
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話す側も聞く側も口を修めるべき

(明慧日本)修煉を始めて10年ほど経ちます。ネットで自分の修煉感想を書きたかったのですが、書き方を知らず、妨害もあり、結局書けずにいました。最近周囲で口を修めないために問題が起きており、やはり文章にして、皆さんの参考になればと思っています。この問題は私がいる地区ではすでに大法の仕事が協調できず、全体的に向上できない原因になっています。

  私は修煉においてなかなか自信を持つことができず、誰かが何か言うとすぐにそれを信じてしまう質です。そのことが本当に存在するのかどうか、真実なのかどうかを法に基づいて判断しているのではなく、ほかの人の言うことで心が揺れ動くのです。同修がよくないとか、同修の状態がよくないとか、同修が全体を破壊しているとか、同修が真に修煉していないとか、同修が法を破壊しているとかのことを耳にすると、このような話は相手が自ら内に向かって探求せず、人を指摘しているからではないか、相手が話していることが本当かどうか、との判断ができず、話を聞いた自分がそのことで何を修煉しなければならないかを考えることもできませんでした。

  2人の人が何かトラブルがあり口論になったとき、それを見た第3者も自らのことを反省しなければなりません。同修同士ではなおさらなのに、お互いに内に向かって探すことができず、話すべきではないことをついつい口にするのです。どのような心性でそのことを話したのでしょうか? 同修間の隔たりと不信感を大きくしたのは、問題があったときに自らが内に向かって探していないからではないでしょうか?

  個人の悟りであり、正しくないところは慈悲なるご意見をお願いします。

  2008年5月17日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/5/4/177658.html