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2008年:吉林臨江の法輪功修煉者は連行され家財の差し押さえと強請られた事件

(明慧日本)2008年以後、三公里森林公安局、臨江市公安局、臨江森林公安局は引き続き法輪功修煉者に嫌がらせをした後、連行した。その中で、修煉者・遅民宝さんは、長年持続的に臨江市公安局の迫害に遭い、現在また連行される事を知り、しかたなく路頭に迷う生活を余儀なくされている。その他の修煉者・姜英さん、姜明麗さんはそれぞれ5000元 、3000元を強要され、不法に家財を差し押さえられた。また恐喝、ゆすりなどの迫害にも遭った。 

 2008年2月26日頃、三公里森林公安局・于培友、警官・韓某某、政治法律委員会・于海涛などは法輪功修煉者・遅民宝さんの家に行き、師父の肖像をみかけ、手を伸ばして奪い取った。遅さんは師父の肖像を守ろうとしたため、警官に地面に押し倒された。その後、3人の警官が強行して遅さんを連行しようとした。遅さんは逃げる事ができたが、遅さんは路頭に迷う生活を余儀なくされている。

 遅民宝さんが長年持続的に臨江市公安局に迫害された事実。

 1999年7.20以後、臨江市公安局は建国派出所の警官・鄭孝営、王玉才は、法輪功修煉者・遅民宝さんの家に行き、不法に家財を差し押さえた。法輪功の書籍を見つけられなかったため、王玉才は、握りこぶしで遅民宝さんの妻(その時修煉していなかった)を殴った。そして妻に勤め先に行って遅民宝さんを探してくるよう強要した。その時「探してこられなかったら、お前もいっしょに捕まえるぞ」と脅かした。遅民宝さんは妻に連れもどされ、建国派出所に行った。鄭孝営は遅さんを公安局に送り、政保課課長・耿立東は遅さんを脅して、2000元を罰するといい、さもなければ拘束すると言った。結局、遅さんの家庭は貧困のため、1000元のお金を払って、釈放された。 

 2000年7月、遅民宝さんは、北京へ法輪功の真実を伝えに行った際、天安門広場で横断幕を広げた時、広場にいた警官に連行された。パトカーの中で、遅さんは窓を開けて「法輪大法は良い」と大きな声で叫んだ。警官は遅さんの髪の毛をつかみ、手に持っていた小型無線通信機で、突然口元を打った。その時、遅さんの前歯が打たれ緩んでしまった。遅さんは臨江市公安局・王玉才ともう1人の警官に臨江まで連れ戻され、臨江留置場で不法に40数日間拘禁された。

 耿立東に5000元の罰金を取られたが、3000元の領収書1枚しかもらえず、警官・金闘万が領収書にサインをした。残り2000元の領収書を出さない理由は、北京から連れ戻す道中の費用だと言われた。 

 2001年4月18日、遅民宝さんは同修と水シャーで真相資料を配る時、真相を知らない人に告発され、耿立東など3人の警官に連行された。警官・耿立東は、遅さんにその他の同修を言うよう強要したが、遅さんは言わなかったため、残酷に酷く殴られた。40数日後に、遅さんは、耿立東に不法に2年の労働教養を科された。白山労働教養所で迫害を受け、12月24日にまた長春朝陽溝労働教養所2大隊に移送され迫害を受けた。

 2002年の4月6日、7日ごろ、労働教養所は強制的に「転向」を実行した。7、8人の警官は縄、ハオ、三角形のベルト、革靴、スタンガンで修煉者をメッタ打ちした。遅さんは打たれたため、頭から足まで、全身青紫色になってしまった。ある時、朱という副リーダーと趙という警官は彼を強制して「真・善・忍」の修煉を放棄させるために、スタンガンと三角形のベルトで、遅さんが意識を失って倒れるまで迫害し続けた。2003年4月18日、遅さんは刑期満了をすぎて1日拘禁された後に釈放された。

 2005年1月、遅民宝さんは同修と樺木八公里地区で真相資料を配っていた時、真相を知らない人に告発され、臨江森林公安局・海涛ともう1人の周という警官に連行され、不法に2年半の刑罰を言い渡された後、四平刑務所の教育区で迫害を受けた(リーダー・尹守東、副リーダー・耿明才)。遅さんを「転向」させる目的を達成するため、副リーダー・耿明才ともう1人の李という警官が遅さんを地面に押して倒した。その後、服は脱がされ、スタンガンで半時間余り電撃されたため、背中は水ぶくれができ、首は真っ黒になってしまった。2006年2月29日に遅さんはやっと釈放された。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は中国語のページを参照)

 2008年5月19日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/5/17/178644.html