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河北省邯鄲市:迫害を受け身体障害者になった楊宝春さんは依然として精神病院に監禁されている(写真)

(明慧日本)河北省邯鄲市の法輪功修煉者・楊宝春さん(40歳)は、法輪功を修煉し「真・善・忍」の信奉を堅持しているため、中共邪党に何度も強制連行、迫害され、邯鄲労働教養所では迫害により右足を切断した。現在、楊さんは邯鄲市永康精神病院に依然として5年以上、不法に監禁されている。
迫害される前の煉功している楊宝春さん
迫害されて身体障害者になった楊宝春さんが、いまだに不法に監禁されている永康精神病院


 楊宝春さんは、邯鄲市の錦航綿フランネル工場(もとの染め物工場)の従業員だった。1997年に法輪功を修煉し始めた。邪党が法輪功に対する迫害を始めた後、楊さんは、1999年9月1日に北京に行き陳情した。北京で捕えられて、邯鄲に連れ戻され、不法に2年の労働教養を科された。労働教養期間中、楊さんは何回も残忍悲道な拷問を受けた。2000年の冬、労働教養所は家族との面会を許さなかった。彼らは楊さんが煉功を堅持することを理由に、この時期、綿入れの靴を建物の上に放り上げ、裸足で雪の中に立たせた。部屋に戻った後、今度は湯を足にかけてやけどをさせ、足は凍傷の上にやけどで、ひどい潰瘍状態となった。 

 邪党の悪人は楊さんの足が施しようのなくなったのをみて、やっと邯鄲紡織局病院に送った。応急手当てをしたが糜爛状態は広がってしまい、生命の危険な状態に及んだため、仕方なく右足を切断した。楊さんは一生、身体障害者となった。

 右足を切断して半月後、傷口の抜糸はまだなのに、邪党メンバーらは楊さんを邯鄲市永康精神病院(肥郷県の境界内にある)に送って迫害した。院長・王玉賓は、看護師・馮永彩と共に、常に不名の薬物を秘かにご飯に入れた。楊さんはそのご飯を食べた後、常によだれを流し、発音がはっきりせず、舌の先が固くなり、全身の力がなくなった。楊さんは精神病院で悪人の意のままに迫害をされたくないため、何回も精神病院を離れようとした。悪辣な医師らは人を派遣して24時間監視し、その都度、無理やり部屋に連れ戻した。臀部は摩擦によりかさぶたができ、そして何度も電撃され、ひどく殴られた。

 2004年、楊さんの妻は知人を探し、お金を払って、やっと永康病院から4年間近く監禁されていた夫を迎え入れた。しかし楊さんは真の自由を得られず、工場が派遣した防衛課に24時間監視された。外出するにもすべて関与した。

  2005年6月、楊さんは数々の不公平な待遇により、北京へ行き陳情した。自分が迫害されて身体障害者になったことに対し、正義を求めようとした。国家身体障害者連合会、陳情オフィスを訪れ、弁護士に問い合わせた。自分が「真・善・忍」を修煉したため拘禁され、迫害された経歴を話した。しかし同情する人はいても、敢えて楊さんのために立ち上がり、正義を貫く人はいなかった。

 北京で半年間、放浪した後、2005年暮れ、再び北京の公安に迫害され、邯鄲に連れ戻された。当時工場の指導者は「そろそろ新年だが、彼をどうしたらよいか分からない。しばらく永康精神病院に監禁し、年明けにまたどうするか決めよう」ということで、楊さんを再び永康精神病院(邯鄲市叢台区)に送った。こうしてまた2年以上監禁された。

 2008年2月17日の午後、楊宝春さんは片足跳びで歩いて、不法に3年以上監禁された精神病院を逃げ出した。しかし夜11時ごろ、邯鄲市永康精神病院の邪悪な院長と5、6人の医師が車で楊さんの家に駆けつけ、楊さんを再び精神病院に連行した。

 叢台区「610弁公室」は家族に、1万元の保証金を払わなければ釈放しないと言っている。家族はあまりにも理不尽だと感じ、このようなゆすりを受け入れていない。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は中国語のページを参照)

 2008年5月25日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/5/23/178995.html