日本明慧
■印刷版   

地震経験後の悟り


 文/大陸・大法弟子

(明慧日本)5月12日午後2時過ぎ、私はオフィスで座った途端、体が揺れているのを感じ、また同僚がテーブルを揺り動かしているのかと思いました。その時突然誰かが「地震だ、逃げよう!」と叫びました。まだ何かも分からずに同僚に引っぱられてオフィスを走って出ました。工場全体の従業員や上の階の職員がすべて一生懸命外へ逃げて行きました。私は工場の空き地の人々の群れの中で、強烈な揺れを足元から感じました。傍に見える自転車置き場、樹木、電信柱、その他の建物が激しく揺れて、今にも倒れそうでした。その時、私の両足は地面の強烈な揺れにより、すでに歩くことができなくなっていました。人々の恐怖の表情を見て、彼らの高い叫び声を聴いて、私は本当に「慌てました」、自分のために慌てているのではなく、中国共産党に洗脳されたこの無辜な人々のためです。傍にいる人々の顔は青白く、どうしようもない表情を見て、私は本当に「怖かった」です。もしも大災難がやって来たら、彼らはどうするのでしょうか?

 翌日明け方に両親と一緒に煉功し、第2の功法をしていた時、もう1回地面の強烈な震動を感じました。あの時、私は涙がほろほろ流れてしまいました! 心の奥で泣いていることをとてもはっきり感じて、あの真相を知らない、三退(脱党、団、隊)をしたくない、あるいは旧勢力にその他の理由で、すぐに淘汰することを按排された人々の恐ろしい結末を見ているようでした。私は独り言で「私は本当にあの悲惨な様子を見たくありません!」と言いました。

 それでは私達修煉者はどう選択するのでしょうか? 普通の常人と同じように、せっかちに安全な地方へ移転し、争って水や食品を買い溜めする、また心配でたまらず、自分が正法時期の大法弟子であることを忘れてしまうのでしょうか? この最も肝心な時に、三つの事をもっとしっかりと行い早く人を救うことなんて考えもしなくなっているのでしょうか? やはりいつも自分の使命をしっかりと悟っており、いつも自分が神になる道を歩んでいる修煉者と認識している、この最も肝心な時にいっそう確実に進むこと、上のどちらを選択するのでしょうか?

 実は最初の時、私達一家も心が動揺したことがあり、その時ただ少しだけで、その上すぐに平静になりましたが、やはり心を動かしたことは確かにありました。それから私は自身に質問しました、私達はかつて師父の前に生死を放下すると言ったのではありませんか? 私達もかつて師父について堅実に歩き続けると誓ったのではありませんか? 私達はどれだけの艱難辛苦を経験して今日まで辿り着いたのか、それはまた何のためだったのでしょうか? 師の正法を手伝う、衆生を済度するためではないでしょうか? そうであれば私達はなぜ常人と同じように、頭で如何に自分の命を守ることを考えるのでしょうか?(甚だしきに至っては「逃げる」時に師父の肖像や大法の本を持っていくことさえ忘れて!)、実は師父以外の誰が命を守ることができるのでしょうか? 衆生を忘れる、これは私心の表れではないでしょうか? 覚者は危険の前に自分のことばかりを考えるのでしょうか? 私達は師父に直面し、私達の世界の衆生に直面するとき、恥ずかしく思わないのでしょうか? ここまで考えると、私達はすぐに心を整えて、確実に一歩一歩進んで行こうと思いました。

  同修達よ、すべてを放下しましょう、するべき事をしっかり行い、すべてのチャンスを掴んで真相を説明し、急いでさらに多くの衆生を救いましょう!

  2008年5月25日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/5/19/178771.html