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吉林省:図門市の法輪功修煉者・金永男さんは迫害により死亡

(明慧日本) 吉林省図門市の法輪功修煉者・金永男さん(60歳男性)は、法輪功を修煉する前は肝炎などの数種の病気を抱えていた。1994年法輪功を修煉し始めた後、体が健康になった。

 2000年3月、金さんは、法輪功の真相を伝えるために上京した際、逮捕され地元に戻された。当地の留置場に1カ月監禁され、2300元の罰金をゆすられた後、釈放された。2001年1月、再び連行され洗脳班に監禁された。2002年6月、法輪功の真相を伝えたため、派出所の警官に捕えられた。吉林省九台飲馬河労働教養所に移送され、そこで40日間迫害された。その間金さんは、断食で迫害に抗議したため、一度危篤状態に陥った。10カ月間迫害され、延吉労働教養所に移送、引き続き迫害されていたが2003年7月に釈放された。

 金さんが家に戻って半年後、2004年2月4日、再び連行された。家にあった法輪功の書籍や真相資料を見つけられ、警察は金さんを留置場に監禁し、6日間苦しめた。たとえば眠らせないとか、木の棒で酷く殴打して、全身が血だらけとなり、片足が不自由となった。また、警官が火のついたタバコを手のひらに当てた。「資料の提供者を言わなければ殺してやる!」と警官は言いふらした。結局、6日間、金さんは何も食べておらず、何も飲んでいなかった。中でも2人の警官が最も凶悪だった。1人は「あんたが資料の提供者を吐き出さなかったから、われわれは今月のボーナスをもらえなかったのだ!」と文句を言いながらメッタ打ちした。もう一人は「あんたを殺しても責任を負わなくて済むんだ!」と言った。

 金さんは残酷な迫害を受けたため、図門市警察はすぐには労働教養所に送らなかった。2004年10月になって初めて、九台労働教養所に送った。そこで法輪功を放棄する保証書にサインをしなかったため、より残酷な迫害を受けた。そのため、金さんは危篤状態に陥り、労働教養所側は責任を負うことを恐れ、2006年11月、家に戻した。

 家に戻った後、金さんは一度回復したが、長期的に拷問されていたため、神経が高度に緊張状態にあり、僅かの音でも恐怖を感じ2007年下旬、健康状態が再び悪化した。2008年3月、咳がひどくなり、5月3日、冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 同じく九台の飲馬河労働教養所に監禁され、2006年5月11日に他界した法輪功修煉者・金範龍さんの生前の話によると、「警官が私たちにどんな残酷な拷問をしても私は法輪功を放棄する保証書にサインしたことはない。その後、警官が突然われわれに対して優しくなってきた。しかも、われわれに白いご飯と肉を食べさせた。それを数日食べた後、体調が悪くなり『何かおかしい?』その後、私は白いご飯と肉を拒否することにした。その時、1人の警官が密かにもう1人の警官に『こいつ、何か気がついたのではないか?』と言った。これを聞いて、警官がわれわれのご飯に何か薬物を投入したのではないかと思った。金永男さんもこのようなご飯をたべたのかも?」と言った。

  この詳細については、現在調査中である。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2008年5月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/5/13/178336.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/5/24/97598.html