日本明慧
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間隔を消去し、本当の一体となりましょう


 文/海外大法弟子

(明慧日本)数日前に、同修との間に摩擦が生じた。自分の心性を高める前と高めた後の同修の態度の変化から、私は法を師とし、内に向かって探す重要性への理解をさらに深めた。  

 事情は以下のようである。ある日、私はある真相を伝える項目の交流で、あるやり方が少し適切でないところがあると指摘した。そのとき、担当の同修と少しばかり論争となった。数日後、私が同様な問題を指摘したところ、担当の同修は私と言い争った。その時は、われわれは自分の悟りや意見を交流したものの、雰囲気があまり変わらなかった。私は、同修の言い争いに動かされていなかったが、心の中に「この同修の心性は何でこんな低いのか。まったく修煉者の姿に見えない。神聖なる真相を伝える項目へ参与する資格がない」と思った。さらに、ほかの同修と、この担当者の心性を議論したりした。徐々にこの担当者に反感を覚えるようになった。  

 しばらくすると、法の中で心性を高めてから、私は同修の心性に執着しなくなった。しかも、異なる角度からこの同修をみるようになった。大法が世の中に伝わったとき、大法の修煉の道に入ってきた生命は、みんなすばらしいのである。師父の「オーストラリア学習者への説法」から、一人の修煉者が大法のことをやるのは相当すばらしいことである。宇宙の将来の希望を今回の法を正すことに託し、天の胆を冒して世間にやってきた生命自身も素晴らしいものなので、法を得て衆生を救い済度している生命はなお更であると、私は悟った。こう考えると心がずっと広くなり、あの担当者対し良くない考えを持たなくなった。  

 もっと奇妙なことは、私がこう考えた後に、グループの交流時に、わからないことについて質問をしたとき、あの同修がいつも積極的に回答してくれる。われわれの間には、何もなかったかのようである。

 私がこの同修との間に摩擦や矛盾が生じると、ほかの空間で私と同修の間に、間隔が形成されることになる。心性を高め慈悲なる心でこの同修を見ると、この間隔が打ち砕かれた。世間での表象は、何も発生していないように見えると、私は悟った。  

 同修との間に矛盾が生じた際、師父の法に従って内に向かって探さなければ、旧勢力の按配に陥りかねなくなる。すると、矛盾が激化される事になる。大法弟子間に矛盾が生じたら、法の上で悟らず、互いに同修に意見を持つようになる。旧勢力がこれを利用してわれわれの執着を強め、大法弟子の間で互いに相手のことをとやかく言い争わせ、結果的に大法弟子がこの空間、ほかの空間で一体となることができず、全体的な高まりや衆生を救い済度することを妨害する。これは、旧勢力の手口である。だから、これから同修間に矛盾が生じたら自分のすべての念を正さなければならない。  

 ほかの角度から言えば、他人がわれわれに意見を持つからといって、他人に対してよくない考えを持ってはいけない。師父の「アジア地区学習者交流会の説法」で“現在の人間は情をとても重く見ていますが、情は最も頼りないものです。やさしくしてくれれば、喜びますが、そうでなければ、情はなくなります。これは頼れるものなのでしょうか?」とおっしゃった。情は頼りにできないものであるが、大法弟子は慈悲であり、他人がわれわれに良くないことはできず、われわれが元の態度を変える。なぜならば、慈悲は神の永久不変の状態であるからである。  

 2008年5月30日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/5/6/177877.html