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集団で法を学び、集団で法を暗記する中で自分を高める

(明慧日本)私は1999年7月20日以前に法を得たものであり、一時、自分が精進して着実に修煉していると思っていました。1999年7日20日以後、邪悪の迫害の中の厳しい試練に耐えられず、5年近く修煉が停滞状態に陥りました。ただ少し大法の仕事をするだけで、目的も自分の都合に基づいていました。師父の慈悲なる教え導きと同修の助けの下に私は2004年2月に再び法の中に戻り、しかも本当に着実に修煉し始め、自分が本当に高まっていることを実感しています。今、過去2年の体験を書き出して同修らと分かち合いたいと思います。

 集団で法を学ぶことから多く受益した

 集団で法を学び、煉功することは師父が残された修煉形式であり、現在私は集団で法を学ぶ重要性をより深く認識しています。われわれは常人の悪い環境の中で知らないうちにたくさんの後天的観念を形成しました。「もし、この後天的観念が強くなってしまうと、この観念が逆に、人間の本当の考えと行いを支配するようになりますが、この時、人がまだ、それを自分の考えだと思っています」(『精進要旨』<誰のために存在するのか>)これらの後天的観念を打ち破りたいならば法を学ぶ以外に方法がなく、法の中で自分を高めるしかありません。同修と一緒にいる環境は最も純粋で和やかで、最も人が鍛えられ、法を学ぶ質を最も保つことができ、しかも互いに比べあい、交流しあう中で自分を高めることができ、われわれを精進させることができるのです。

 以前、私は法を学ぶことを第一に置いておらず、いつも常人のことをやり終えた後になってはじめて法を学んでいました。すると、法を学ぶ時間を確保することができず、法を勉強してもなかなか心の中に入りませんでした。数回にわたって法を暗記することを決意しましたが、なかなか行動に移すことができませんでした。集団で法を学んで、自分のこの状態の根本的な原因は安逸心によるものだと認識しました。私はいつも常人の気持ちのよい環境に執着しており、家族団欒の肉親の情に執着しており、根本的に言えば人のものに執着しているのです。ところが、われわれの修煉は法を学ぶことを通して人間の観念を打ち破ることなのです。「人間としての考えを徐々に取り除き、真に人間の中から抜け出せるようにするところにあります」(『精進要旨・(二)』<法を正す時期の大法弟子>)。現在私の学法の時間や質は確保されています。これらはみんな集団で法を学ぶ環境から得たものです。

 われわれの法を学ぶチームの成員は互いに励ましあい、法を暗記することを促進しあっています。『転法輪』を暗記することを恐れる障害を打ち破ろうとわれわれは決意しました。たとえ、ほかの同修のようなスピードで達成できなくても1日1ページを暗記して1年かけてもそれを堅持していかなければならず、絶対怠けないと決意しました。私たちは経文を暗記することを促進しあっており、法を学んでから1篇の経文を選び、家に戻ったらそれを暗記し、次回の法を学ぶときに順番に暗唱し、正しくないところを直しあっています。

 集団で法を学ぶことによって、大きな問題に遭った時、あるいは自分がやったことが法に基づいていないとき、同修は互いに交流しあい、だんだん一体となる事ができます。大法の仕事は法に基づくことが大事です。

 法を暗記する中で自分を高める

 法を暗記することで私は正真正銘の着実に修煉する大法弟子になりました。

 以前、私は法を学ぶときいつも心の中に入らず、法を学んだ後何も覚えていませんでした。法を暗記することを通して修煉状態がよくなりましたが、そのよさは今までまったく感じたことがないものでした。「学ぶ人は自然に変化して反復、通読すればすでに道の中にいます」(『精進要旨』<師を拝む>)。以前、いつも法を学んでいましたが、何かがあったらいつも最初に出てくるのは人の考えや反応であり、このことが過ぎ去ってから法を学ぶときに初めて自分が法の中にいないことに気がつくのです。法を暗記してから法への理解を深めました。何もかも大法ではかり、いつも頭の中に師父の言葉を思い浮かべると、いかにするべきかすぐにわかるのです。大法の仕事をやっている過程に人のものがときどき混じり込みますが、基本的にすぐに意識することができ、それらを取り除くことができます。

 数日前に、姉(修煉者)が家庭の関に遭いました。常人の角度から見ると、姉と夫との差があまりにも大きすぎるように見えます。しかし、今度出てきたことは姉に対して非常に不公平でした。以前、私は姉妹の情に執着していたので、姉に法理上の高まりを助けてあげることなく、逆に姉の夫の欠点ばかりを見つめており、姉と一緒に常人の考えや常人の手段で生じたことを分析して解決していました。今回、私は姉の訴えを聞いた後以前のように怒ったりしておらず、逆に非常に冷静になっていました。ときどきこのことが姉に不公平だと思っても、すぐにこれがよくない状態だと意識しました。師父は『シカゴ法会』で「修煉の中で、皆さんは良いことに出遭っても、良くないことに出遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです」とおっしゃった。修煉者は人心や業力、執着を帯びて円満成就してはいけません。師父は『精進要旨』<修める者はおのずとその中にいる>の中で「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩はみな関を乗り越えることであって、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」と言われました。

 今度のことは姉にとってまさに通過しなければならない関門ではないでしょうか? 自分を高め、自分の境地を昇華させる絶好のチャンスではないでしょうか? 彼女は以前この方面において関門をあまりうまく通過しなかったので、今回の関門はより大きくなっており、もし今度通過できなかったら、邪魔がそれをもっと大きくして姉に対する迫害も大きくなり、結局、姉の修煉を台無しにしてしまうのです。これは恐ろしいことであり、これは同時に私に対する試練ではないでしょうか? 今度のことを通して姉への情を取り除かせているのではないでしょうか?

 家に戻って、私は『精進要旨・(二)』<法を正す時期の大法弟子>を暗唱しました。すべての文字が私を揺り動かしました。修とは何だろうか? 以前これに関して私はあまり真剣に考えたことがありませんでした。現在私は悟りました。修とはほかでもなく、どんなことでも法の上になくてはならずこれを基点とすべきです。「ある生命がもし、関係している重大な問題に対して、本当にいかなる観念も抱くことなく物事を判断できるならば、その人は真に自らを司る事ができます」(『精進要旨』<誰のために存在するのか>)。自分の欠点やよくない、正しくない観念や考えを見つけたらそれを抑制しなければならず、強制的に自分の行為を法の要求に従わせ、自分の常人の部分を放縦してはならず、こうすると、常人の部分がだんだん取り除かれることになるのです。法を正す中で、師父がわれわれに最もよいものを与えてくださったのですが、われわれはまだ何か放下できないものがあるのだろうか? ここまで考えると、この関門を通過するよう姉を助けると決意しました。

 翌日、私は法の上で姉と交流しました。知らないうちに師父の話が水のように絶えず私の頭に浮かんできました。姉も「法を暗記することから私たちはたくさん受益した。私たちは知らないうちに変わっている」と感慨深げに言いました。この過程で私たちも姉の深く隠している闘争心と名利心を見つけました。私は姉や母親への情を一層取り除きました。これから姉と母親を本当に同修として扱うことにしました。

 法を暗記する中で自分の名利心をさらに取り除く

 私はかつて名利心の強い人間で、特に名誉を求める心がありました。以前、常人であったとき私は公に認められたよい人間だったのです。修煉後、法を学ぶことを通して常人と修煉者の間の区別の大きさがわかるようになり、基点も本質的に違ってきました。常人のときによいことをなすのは表面上のものであり、自分がよい人だと言わせるためにやっていました。修煉後、私はだんだん心の底から他人を考慮し始め、しかも報いを求めず自分の心を修めるだけでした。

 自分の名利心をたくさん取り除いたと思うときに法を暗記することによって私はより深く隠されていた名誉欲を見つけました。つまり、常人の名を求めなくなるのですが、修煉中の名を求め始めていました。自分がよく修めているとか自分が法をしっかり学んでいるとか、自分が法をしっかりと暗唱しているとかを言わせるために毎日法を暗記しているのです。実は私はいまだに名誉欲を取り除いていませんでした。法を暗記しはじめたころに毎日1ページを暗記することは自分が遅れていると言われたくないからでした。自分の面子を保つために法を暗記していたのです。しかし、毎日法を暗記することばかりをして、ほかの大法の仕事を疎かにしていました。明慧ネットを見なくなり、作った資料をいつもチェックせずに同修に渡していました。経文を暗記し始めると、私は『転法輪』を暗記することは放っておいて、精力を集中して経文を暗記することになり、目的は自分がしっかりと暗記していると言われたいからでした。褒められたらすぐに得意になるのです。基点が正しくなかったから、集団で法を学ぶときに非常に流暢に暗記していましたが、数日後は全部忘れてしまうのです。実は法の内包をはっきりと認識していないのです。ある日、同修と一緒に交流していたとき、自分のこの状態の根本的な原因に突然気がつきました。この名誉欲が今までずっと私を妨害していました。私はそれを改めると決意しました。法を暗記する基点を正したら、状態が変わりました。「しっかりと修める人は求めることに執着することなく自然と得るのです」(『精進要旨』<師を拝む>)。

 現在私は集団で法を学び、法を暗記することが私にもたらしてきた変化を実感しており、われわれの地域は邪悪の気の狂ったような迫害の中で穏やかに着実に歩んできました。しかも師父の要求された三つのことをしっかりとやり遂げています。

 世間で師父の法を正すことを助ける機縁を大事にし、法を正す中で着実に自分を修め、自分の将来に悔いを残さないように精進し、円満成就しましょう。

 2008年5月31日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/8/16/160932.html