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許焱麗さんが北京石景山公安分局看守所で不法拘禁

(明慧日本)元北京地質大学英語講師許焱麗(37才、女性)さんは現在、北京石景山公安分局看守所に不法拘禁され、迫害を受けている。許焱麗さんは2008年4月20日ごろ通勤途中に石景山公安分局国保護局の警察官に強制連行された。許焱麗さんの夫は2002年に強制連行され、11年半の不法判決を受け、今は監獄で危篤状態に陥っている。

 許焱麗さんには子供二人がいる。上の娘は8才で、70才近くの舅が人を雇って通学の送迎をしているが、成績は落ちて、毎日心配事でいっぱいになり、お母さんお母さんと捜し求めている。下の息子は病気になり、毎日病院に連れて行って点滴をしている。高齢のおじいさんは心臓病がある身で、幼い子供の面倒も見なければならなくなった。今祖父と孫二人は頼り合いながら、苦しい日々を過ごしている。

 許焱麗さんは体が不自由であるが、荘重で美しくて、顔立ちはもの静かで、気立てがよく、正直で、善良であり、人の手本となっている人である。修煉する前は体が弱く病気がちだったが、修煉後病気が全部なくなり、体が不自由でありながら、職場で積極的に働き、日常生活では夫の親に親孝行をしてきため、近隣、友達、同僚、生徒たちに心から称賛されていた。99年7月20日、江沢民のならず物の政治集団が法輪功を迫害しても、許さんが宇宙の特性—真、善、忍に対する信奉を続けていたため、学校から公職を剥奪された。石景山公安分局国保護局と八角派出所の警官・趙明龍に数回も強制連行されたことがあるが、毎回迫害によって人事不省になり、危篤状態に陥ったので強制連行は失敗していた。

 許焱麗さんと家族の日常の生活はしょっちゅう中共の警官ら邪魔され、居住監視、電話盗聴、尾行をされていた。2008年4月、居民委員会の従業員が許焱麗さんの家で雑費を収めた時、壁に掛かっている大法の師父の肖像を見つけて、警官・趙明龍にそれを教えた。 趙明龍は憎々しく顔を歪めながら、「待って、彼女はいつか始末するから」と言った。

 4月20日、許焱麗さんは通勤途中暴力で強制連行された。警官は許さんの居所を教えず、家族の見舞いも禁止し、お金と服を送ることも許可しなかった。なお、警官らは「態度がよかったらオリンピックの後に釈放するが、態度が悪かったら二年の判決をする」と言いふらしている。

 許さんの夫・魏世均は2001年に強制連行され、11年半の不法判決を受けた。現在は北京前進監獄に拘禁され、迫害を受けて危篤状態に陥っている。家には年を取り、いろんな病気 にかかっている舅だけで息子の嫁の行方を至るところで捜している。派出所、国保護局と分局では他の部門に責任をなすりつけて、許さんは居ないと言っている。許さんの母親がアメリカから電話をかけてきた時に、娘が強制連行されたという知らせを聞き、酷い衝撃に耐えられず心臓発作を起こした。病院で緊急処置をとっているが、現在危篤状態に陥っている・・・・。

 その後、国保護局の人だと吹聴している人2人(いかなる証明書を提出してない)が家に来て、脅迫したり、 恐喝したり、甘い言葉でだましたりし、70才近くの夫の親に自分たちが用意してきたファイルにサインをさせようとした。人目を避けるために、子供2人を児童村(孤児院)につれて行こうとする行為だと知っていた年老いた親はサインすることを拒否した。

 2008年6月5日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/6/4/179680.html