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「睡魔」は魔ではありません

(明慧日本)私達が学法や煉功する時、しょっちゅう、元気がなく、居眠りをしてしまうという一種の現象に遭ってしまいます。特に法を得たばかりの修煉者にこのような現象が目立っています。このために、修煉者たちは修煉の過程の中で出現するこの邪魔を「睡魔」と名づけています。最初にこの言い方を耳にしたとき、心の中に少し疑問があり、少し適切ではないと感じました。しかし進んで悟れませんでした。それから、聞く回数が多くなって、かえって適切ではないと感じなくなり、時には一緒に言ったりもしていました。

 昨日、先生の1997年の『ニューヨーク座談会での説法』(『法輪大法 アメリカ法会での説法』)を学習していたとき、突然「睡魔」は法に相応しくない言い方だと悟りました。私達は修煉する中で、このような現象に対しての認識が浅い上、判断が確かでないため、それに対しての処理方法と能力はあるべき要求に達していなかったのです。それを悪魔と称するには少し買い被っているようです。またそのために良くないエネルギーを注ぎ込むことにもなります。

 1997年の『ニューヨークの座談会での説法』(法輪大法 アメリカ法会での説法)の中で、ある弟子がこんな質問をしました。「煉功の時いつも眠くなるのであれば、寝たほうがいいのでしょうか? それとも魔なのでしょうか。それともそれと戦うのでしょうか?」師父はこのように言われました。「睡眠自身が魔ではなく、それは人間が休まなければならない要素です。これも宇宙が構成したもので、一種の要素です。しかし修煉者として言えば、修煉の時に寝てしまえば、魔の作用が働き、あなたに修煉させないのです。それ自身は魔ではありませんが、このような作用が働きます。しかし逆に言えばまたあなたの意志を固めるために作用しているので、意志はあなた自身で修めるものではありませんか? 自分の意志を固めるべきであり、それを抑制することは意志を固める事であり、これも修煉です。煉功の時に眠くなるということ自身も思想業力が働いた作用です」。

  以上から分かるように、私達の修煉中に出現する居眠りは確かに魔の作用を果たしていますが、しかしそれは魔ではなく、ただ単に思想業力が働いているだけなのです。これは私達が修煉する中で信念を固めることを必要とし、意志を強くすれば克服できます。私達がそれを睡魔と呼んでいるのは実際それを魔と言っていることになるのです。これは師父の説法と一致しません。

  これはただの個人の初めての浅い悟りですが、適切であるかどうか、同修の慈悲なるご叱正を請います!

 2008年6月7日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/6/3/179548.html