日本明慧
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師父がくださった道を歩む


 文/中国大陸大法修煉者

(明慧日本)私は工事現場でアルバイトをしており、かなり頻繁に工事現場が変わるため、多くの人と触れ合う機会がある。あらゆる機会をつかみ、真相説明をしている。まるで食事や睡眠のように、真相説明は自分の生活の一部となり、常人に会うたびに、第一念が真相を伝えなければならないと思うようになった。そうすると、師父の力があり、どんなときでもチャンスが巡ってくる。説明するときも無理やり何かを吹き込むのではなく、善の心を持ちつつ、真相を伝える。意見に同意するかどうかは聞いた人たち自らの選択である。それでもわれわれは彼らに選択のチャンスを与えなければならない。

 一度ある工事現場で1カ月ほど、毎日真相を説明して、多くの問題に触れた後に、周りの人々が本当に真相を理解して、私に対する態度もとても友好的になった。さすがに少し照れてしまったが、しかし、これは私個人に対する態度ではなくて、彼らの善の心の現われだと認識した。私の心性の状態が真相説明の効果に影響しているように思う。状態のいいときはまったく知らない人も自ら声をかけてくるので、そういう時はよりうまく説明ができて、相手も受け入れやすいのである。

 真相を説明するときは必ず心境を正して、しっかりと相手のためにしなければならない。一人の常人は一つの大きな世界を代表する。その人に対する淘汰はその世界の淘汰でもある。一般の人々もある世界の神様または仏様かもしれない。ここで彷徨っている人々は、真相を知り、早く帰ることを望むはずだ。救わないわけには行かない。ある日、工事現場にチンピラのような集団がやってきた。彼らは無理やり工事を止め、責任者に金銭を要求した。責任者が逃げても、離れることがなかった。私は真相を伝えるのをやめようとした。しかし、彼らも法のためにここにやってきたのではないかと考えた。話し出すと意外にも親切で、無事に真相を伝えることができた。

 真相を説明することもレベルアップにつながり、心性の修煉でもある。ある日、私は体調が悪かったにもかかわらず、その日に出会った人々にしっかりと真相を伝えると、体調も知らない間によくなった。それで執着心が湧いたようで、次回体調の悪い日に潜在意識の中で真相を伝えれば、体調もよくなるだろうとの念が湧いた。しかし、真相を伝えた後に、2日間も寝込んでしまった。なぜこのようなことが起きたのか? それは1回目は他人のために、2回目は多かれ少なかれ自分のために真相を説明したからだ。

 常人の固有観念を変える必要がある。常人は周辺の環境によって心理状態が変わるのに対して、私たち修煉者は法の勉強を通じて、心性を高め、内在的な変化で周辺の環境を変えていくのだ。自分の心性が高いときは周辺の環境もよくなる。恐れる心は修煉で取り除けるが、逃げることはできない。確かに、真相を説明するときには恐れたりもするが、そのときは正念を発することや法を勉強することで環境を改善する。常人の固有観念が少なければ少ないほど、難も少なくなる。たとえば、ある修煉者がある夜に法を正すために出かけて、恐れながらやっていると警察が追っかけてきた。やっと逃げたと思いきや、車で追いかけてきた。そこで、その修煉者が逆に執着を取り除いたら、そのまま気づかれずに済んだ。

 近所の壁に「法輪大法はすばらしい!」という文字が書かれている。自分の心性がいい時は誰もふれようとしないが、心性が不安定になった途端、誰かがその文字を消そうとする。これこそ心性によるトラブルなのだ。我が家では私が唯一の収入源で、ぎりぎりの生活が続いていた。しかし、資料センターもお金が必要なため、もともと余裕のない生活費から一部を資料センターに送った。そうすると予想とは裏腹に家庭の収入が増えて、生活もしやすくなった。邪悪は法を正すための資金をなくすことができないのだ。本当に修煉状態がいい時は迫害の終了時間など考えたりもしない。私たち自身がよくできていれば、邪悪など自滅し、迫害もすぐに終わるはずだ。

 修煉者が心身ともに、より健康になり、家庭環境もよくなることの全ては法を正すためにあると思う。

 多くの人々が大法を疑うのは、実際に法に触れたことがなく、または修煉者と接触したことがないからだ。私は真相を説明するときに真っ先に相手に修煉者であることを伝え、そして特殊なことを何もしていなくて、ただよりいい人になろうとしているだけだと伝える。そうすることで、自分自身に対する要求が厳しくなり、心性の向上に繋がり、法を正すこともできた。

 個人的な理解だが、『転法輪』に法を正すプロセスも書かれていると思う。法を正すことの始まりから終わりまで修煉者のやるべきことなど、師父がすでに教えてくれている。1999年7月20日以降の2年間に、法を実証することをせず、ただひたすら自宅で本を読んでいたが、新しい意味を悟ることができなかった。しかし、法を実証し始めて、また改めて『転法輪』を読むと結果が異なった。

 ある日、妻に聞いた。私たちが法を勉強するチームを作り、毎日法を勉強するのは何のためか? 妻はそれが法に同化し、師父の力になり、衆生を済度するためだと答えた。これこそ返本帰真の道であるのは修煉者なら誰もがわかるのに、実際に実行するのは本当に難しい。ほんの少し正念が足りないことで大きな差が生まれる。たとえば、自分だけのレベルアップのために法を学び、自分の威徳のために法を実証し、自らの安全のために正念を発することがある。このような「私」の心は隠れていて、あまり気づかない場合もある。そのために、多く法を学び、本当に法に同化しなければならない。

 私たちのすべてが法から生まれている。三つのことを行うことは師父が按排された道である。しっかり法を学ばなければ、何もかもうまく行かない。法を実証し、真相を説明することが私たちにとって実際の修煉であり、その過程がなければ、法の中身をうまく理解することができない。法を正す中でしっかりと修煉する過程は、何もかも正しく行えるわけではない。そのときは多く正念を発することで、邪魔になるものを取り除き、落ち着いて法を学ぶことができる。

 ほかの修煉者、または法を正す環境に連れられている修煉者たちは、ここでもう一度自分に対して法の上で法を理解しているかどうかを見つめなおすことをお勧めする。2006年末、知り合いの修煉者のアドバイスにより、自宅で資料点を作ろうと決心した。しかし、当時家庭内の資金がほぼゼロで、私と家内はともにパソコンの門外漢で、子供が少しわかる程度だった。そこで、借金してパソコンを購入しようと計画していたところ、1人の親戚がちょうどパソコンを買おうとしていて、ついでに私に1台プレゼントしてくれた。このようにしてやっと資料センターができた。その当時はインターネットにつないでおらず、情報とファイルは遠方の修煉者からUSBメモリーを借りていた。しかし、その修煉者が忙しくなり、教えてくれなくなった。あせりつつも、きっと師父が何かを按排してくださると思った。そのときもう1人の修煉者が技術のわかる修煉者をつれてきてくれた。それでインターネットにつなぐ問題も解決した。今となっては、独立の運営もほぼできるようになった。当時は資金も技術もなかったが、ただ法を実証したい一心で自然に師父のお力を借りることができて、あまり大変な思いもせずに資料センターができた。

 今年5月のある日、警察から夜に自宅訪問をする電話があった。ちょうどその夜は資料を配布しに行く予定だったが、それでも計画を変更せずにすべきことをして、後は師父が決めてくださると考えた。結果から見ると、資料配布もできて、警察も来なくなった。師父がくださった道を歩むとあらゆることがこのように自然で簡単である。

 2008年6月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/6/10/180027.html