二〇〇八年ニューヨーク法会での説法
 

(李洪志、二〇〇八年五月二十四日、マンハッタンに於いて)

 

(全員起立して、熱烈に拍手)

 皆さん、こんにちは!(弟子:「師父、こんにちは!」、熱烈な拍手) 皆さんお疲れ様です!(拍手)

 皆さん、本当にお疲れ様です。皆さんは異なる地区、異なる国から来ており、異なる民族で、この世界の隅々にまでほとんど大法弟子がいます。皆さんはすべて大法弟子の最も偉大な責任を負っており、皆さんは衆生が救われる希望です。皆さんが真相を伝えることにより、皆さんが世間で果したこと、行なったことにより、多くの人々は救われました。したがって、私はこれらの衆生に代わって、皆さんにお礼を申し上げます!(弟子たちは拍手をもって師父に敬意を表す)

 億万年の按排では現在は最後の時になりました。歴史上、今日まで歩んできて、それは簡単なことではなく、様々な困難がありました。古から今日まで、神々はみな、このことを見ており、注目していますが、特に最後の一歩になって、なおさらそうです。大法弟子の行い、考えを彼らがすべて注意深く観察しています。初期の頃、この法は世間で伝わってどのような効果を得られるのか、この先史の大願を成し遂げられるかどうか、大法弟子は最後の時に自分の使命を果すことができるかどうか、しっかり行なうことができるかどうかに関して、その時いずれも未知数でした。さらに、成し遂げられるかどうか、三界が残されるかどうか、大法弟子には法を実証する使命がありますが、それをしっかり果すことができるかどうかも含まれています。喜ばしいことに、皆さんは乗り越えてきました。道程で皆さんがどのような困難に遭ったとしても、振り返ってみると、それは大法弟子に対する煉磨に過ぎず、過程の中で皆さんは成熟させられ、人心を取り除き、最後に圓満成就に向かっていきます。これは即ち、皆さんが歩んできた道です。振り返ってみると、このようなことにすぎません。

 特に迫害に遭ってからのこの数年間、皆さんが行なった法を実証することの中で、どのような具体的なことに遭っても、皆さんに教えたことがありますが、それはいずれも良いことで、それはあなたが修煉したから現れたことです。あなたが思っている如何に大きな魔難にしても、苦痛にしても、いずれも良いことです。それはあなたが修煉したから現れたことです。魔難の中で業力を消すことができ、魔難の中で人心を取り除くことができ、魔難の中であなたを向上させることができます。それはあなたが衆生を救い済度するためであっても、法を実証するためであっても、または個人の修煉の向上のためであっても、魔難は同じです。あなたが大法のために何かを行なっているから、衆生を救い済度するために何かを行なっているからといって、魔難が来なくなるというわけはありません。ご存知のように、師父はこのように考えますが、この旧い宇宙の勢力と旧宇宙の生命はこのように考えていません。これも皆さんの難しさです。だからこそ、それらの魔難が現れ、これも大法弟子が出遭った最も困難なことです。理解できる人や理解できない人、衆生のこのことに対する異なる考え方、見方はいずれも、皆さんがこの世で法を実証することと衆生を救い済度することに困難をきたしました。しかし、彼らがどのような表れであっても、私たちは彼らを救わなければなりません。彼らが理解できないのは、彼らが迷いの中にいるからです。彼らが大法弟子にいくらかの困難をもたらしましたが、それは彼らに真相が見えないからです。千百年、億万年、その人が何のためにここにやってきたのかに関らず、実は皆、この最後の日を待っているのです。その人の一生一世のこと、或いはある事をしっかり行なえなかったからといって、私たちは彼を救い済度しないわけにはいきません。師父はある生命を見るとき、その生命の全過程を見ているのです。歴史上、その人は多くの非常に良いことを行ない、場合によっては法を実証するために多くの業績を築きましたが、今生しっかり行なえなかったからといって彼を救い済度しなくてもよいのでしょうか?

 確かに非常に良くないことを行なった人がおり、その人は機縁を失い、機会を失い、救い済度されることができなくなりました。しかし、大法弟子に関して言えば、大法弟子も迷いの中で修め、迷いの中で人々を救っているため、これらのことを見分けることができません。ですから、皆さんは魔難に遭うことがあり、頑迷な人に会うことがあります。実は救い済度されることができない人、救い済度される資格のない人がいます。皆さんはこれらの人に出会うこともあります。しかし、これらのことによって、真相を伝えることや真相を説明する方式が影響されるべきではなく、皆さんの物事に対する正しい対処の方式が変えられるべきではありません。師父がこの世で遭った魔難、このような圧力は毎日、幾万件にも留まりません。誰も私を動揺させることができませんでしたし、動揺するはずもありません。私が行なおうとすることは、誰も変えることができず、どのような形の魔難に遭っても、変えることができません。皆さんが法を実証することも同じです。しかし、皆さんの場合、法を実証し、人々を救い済度すると同時に、皆さんは修煉をしている人でもあり、修煉をしている人には人心があり、でなければ神になります。神はどのように修煉するのでしょうか? 神は修煉できません。人間の肉体があってはじめて修煉することができ、これこそ修煉なのです。この人間の肉体があるからこそ、修煉の機会、向上の機会があり、これは非常に得がたいことです。特に大法弟子はまた大きな使命を持っています。ですから、修煉の中で、どのような魔難、どのような困難が起きても、変えられてはなりません。

 特に大法弟子が迫害されているこの数年間、表面の現象から見れば、邪党が中国人や修煉者を迫害しているように見えますが、実はこの世の如何なることも背後に宇宙の要素、ミクロ的な要素がなければ、成り立たず、存在すること­­­­­ができません。邪党の背後にある要素は即ち、その邪悪な生命であり、その表面の形象は赤い悪龍ですが、実際、それは多くの分子、粒子、さらに一部の低い次元の卑しい鬼のような生命など、汚いものや卑しいものが集まったものです。旧勢力はこれらのものを利用して大法弟子を妨害しています。

 最近、ニューヨークのフラッシングで邪党の徒が脱党センターの大法弟子を攻撃する事件が起き、他の地区にも起きましたが、それほどひどくはなく、皆さんは見たかもしれません。表面では、悪人らは脱党センターを攻撃して解散させ、悪党からの脱党を応援する活動ができなくなるようにしたいと思っています。悪党は恐れており、脱党センターは悪党の目のかたきです。社会の中に「脱党センター」、「中共邪党を脱退するセンター」があることは、背中にとげが刺さっているようで悪党は居心地が悪いのです。実質上、脱党センターは力強く邪悪を消滅する場所であり、そのため、悪党は恐れています。実は正面の角度から皆さん見てください。「脱党センター」は何でしょうか? 衆生を救い済度する場所ではありませんか? 邪悪を怖がる必要はありません。私が言いたいのは、今回の攻撃や妨害が現れてから、修煉を精進しておらず、または人心の多い人はどうしても人心をもって物事を見ているということです。善と悪の二種類の表れは、ちょうど世の人々に見せているのではありませんか? 救い済度できる人を探し、見分けているのではありませんか? 先ほど話しましたが、救い済度される資格のない生命もいます。皆さんはすべての人に真相を伝えてもいいのですが、町にいるすべての人を全部、済度するということではなく、救い済度される資格のない生命もいます。肝心な時、人心がどのように動くのかを見るのであって、世の人々がどのようにこのことに応えるかを見るのです。人々の反応は善なる念によるものか、それとも悪の念によるものか、神はすべての人の考え方に注目しており、これによってその生命を残すかどうかを決めています。言い換えれば、このこと自体はそれらの救い済度され得る人を救い済度しているのではありませんか? 大法の中での修煉、法を正すことと皆さんが法を実証する中に偶然なことはありえません。このこと自体は衆生を救い済度しているのではありませんか? このことは社会に大きな影響を与え、すべての人はこのことを考えています。以前にも話したことがありますが、中共邪党は何もしなければ、邪党にとって厄介なことはまだ少ないのですが、特に大法弟子に対して何かの悪事を働けば、それはきっと邪党自身の醜さや失策になり、同時に結果的に大法弟子に手伝って事を成功させています。人心の多い学習者は私の言った事を覚えておいてください。今は分かったかもしれませんが、いったんまた何かが起きると、皆さんはまた忘れてしまい、また人心で物事を見てはいけません。

 結局、このことは卵が石にぶつかるように失敗してしまいました。中国大陸であれほど大法弟子を迫害していても、大法弟子は揺るぎなく乗り越えてきました。国際社会ならなおさらのことです。なぜ邪党を恐れることがあり得るのでしょうか? 大法弟子の強靭な意志は揺るがすことができません。人を殴ったり、罵ったりするのは無能の現われです。この社会で人を殴ると、法を犯したことになります。これらの邪悪に圧倒されないようにしてください。また、邪党に惑わされたそれらの常人の虚言に惑わされないようにしてください。常人にあれこれの考えがあると様々に言っていますが、常人に何の考えがあるというのですか? 常人の考えはたくさんあります。あなたたちが彼らを救っているのであって、自分が何を行なっているのか、何をしているのかは、自分で分かっていなければなりません。

 私が法を正す初期に、神々は既にこのように決めましたが、つまり邪党がどのような目的であっても、行なった如何なることも、その結果は私と大法弟子を助けることになるということです。ですから、中共邪党は何かの悪事を働こうとすれば、必ず失敗し、醜いことになります。この九年間に起きたすべてのことを冷静に振り返って見れば、いずれもこの状況です。中共邪党自身はこのならず者の政権が世の人々の目に異質なものとして映っているのを知っており、いつも世の人々に良い表われを見せたいと思い、表のイメージを飾り立てていましたが、今になって、この表のイメージも壊れ、化けの皮が剥がれて、これ以上偽装ができなくなったと分かり、赤裸々に行なうようになりました。現在、このならず者の政権、国家政府の全体、海外の領事館を含めて、そのすべては法輪功のために存在しています。これほど大きな国家機関が皆さんに付き添って、皆さんを際立たせており、破天荒にこれほど素晴らしいことがあるでしょうか。今になって、もう装うこともせず、悪事を行う時の下劣な手段、汚い手段をすべて使いました。見た目はかなり勢いがあるように見えますが、私に言わせると、それは滅亡する前の最後のあがきにすぎないのです。(拍手) 見てみましょう。その続きを見てください。この芝居はこのように演じられています。この歴史は大法弟子が衆生を救い済度するために按排されたもので、皆さんはなぜ主役にならないのでしょうか? なぜ邪党文化を注ぎ込まれた常人の言ったことを第一位に置くのでしょうか? なぜ邪悪の迫害をそれほど重く見ているのでしょうか? よく考えるべきです。これらのことは迫害される一九九九年以前なら、師父は言わないのです。皆さんは乗り越えてきた大法弟子であり、間もなく圓満成就になる大法弟子です。(拍手)

 現在、法を正す全体の形勢が絶えず前へと進むにつれ、表面の空間は見た目では、指で突くとすぐ破けてしまうという状況で、残ったものはすでに非常に少なくなりました。邪悪の生命も大量に消滅されており、現在大法弟子の正念さえ強ければ、邪悪の生命はすでに太刀打ちできなくなりました。それらが毎回、悪事を働く時に、多くの卑しい鬼を集めなければならず、ほぼ総動員しています。法を正し、宇宙を浄化しているため、それらが消滅され、邪悪の力はこのように消滅されているのです。この一部が完全に消滅されたら、邪悪もしばらく静かになります。毎回この状況です。この状況からみると、大法弟子は更に冷静にならなければなりません。修煉の中ですでに最も困難な状況から乗り越えてきましたが、最後の道をしっかり歩み、自分が歩んできた道を大切にすべきです! これは容易いことではなく、皆さんは歩んできて、歴史上未曾有の魔難を乗り越えてきたのです。皆さんは必ず大切にすべきです。未来の輝きは皆さんが法を実証する中で打ち立てた威徳であり、皆さんを待っているすべては最も良いものなのです。(拍手)

 一部の地区の学習者が少ないからといって、または一部の地区の学習者の間にずっと論争が存在しているからといって、皆さんの法を実証すること、衆生を救い済度すること、甚だしい場合、個人の修煉まで消極的になってはいけません。あなたは自分を台無しにしています。知っておかなければならないことは、私はずっと、大法弟子が物事を見るとき、必ず逆の立場から見なければならないと言っています。三界は逆になっていますが、皆さんは正しく歩まなければなりません。常人が良くないと思っているものは、修煉者、ここから離れようとする生命にとって良いものになります。常人と同じ考えであれば、あなたは永遠に常人のままであり、永遠にここから離れることができません。ですから、あなたがぶつかった魔難はちょうど、あなたが向上する機会であり、内に向けて探すことができれば、それはまさにあなたが難関を乗り越え、新しい状態に入る機会になります。なぜこのように見ないのでしょうか? 魔難に遭えば、外に押し出します。私は話したことがありますが、皆さんが法を実証し衆生を救い済度することにおいて起きた論争でも、または聞きたくないことでも、いずれもあなたの向上のためのものです。あなたの向上が第一義のことだからです。あなたの向上がなければ、全てが問題外のことになり、衆生を救い済度することも問題にもなりません。あなたの向上、あなたの圓満成就がなければ、あなたが救った衆生はどこに行けばいいのでしょうか? 誰が彼らを受け入れるのでしょうか? なぜこのように問題を見ないのでしょうか? もちろん、常人の中にいるため、なかなか完璧に行うことができませんが、本当に時々刻々にこのようになり、少なくとも肝心なこと、衆生を救い済度すること、修煉のことに対してこのように対処すべきではありませんか? すべての付いてきていない人、消極的になった人、不平のある人、他の人に対してひどい不満を持っている人、佛学会の人ばかりを見ている人はいずれも、自分自身を修めたくない人で、外に向けて修めています。「佛学会」が修煉して良くなり、他の人も修煉して良くなり、または常人がみな良くなったら、あなたにとって何のメリットがあるのでしょうか? あなたにとって何の収穫があるのでしょうか? あなたは社会にわずかな義務を果たし、わずかな良い事をし、これだけのことに過ぎません。それは修煉者が行おうとすることではなく、それは常人の中の良い人に過ぎず、圓満成就することができません。ですから、修煉は必ず自分のその心を修めなければならず、必ず人心を取り除き、正念で物事を見るべきです。

 三界は造られた当初、理が逆になって造られたのであって、ここに正理はありません。正理があれば、釈迦牟尼もイエスも来る必要はなく、法を伝えることもなく、ここの法を正すこともなおさらないのです。三界の理は逆になっており、行為と形式も逆になっています。世の人がよい香りと思っているものは向こうではいやな匂いなのです。人間が良いと思っていることは向こうでは悪いことかもしれません。人間が思っている勝者は神からみれば、人間の感情的な衝動と欲望に駆られて争って得たものです。戦争で得た政権は神の目から見れば、それは強盗なのです。人類はこれまでこのように存在し、武力で天下を征服し、王者が国を治め、このようにずっとやってきて、正理はありませんでした。すべてのすべては逆になっています。逆になっているから、人が修煉することができ、この逆になった状態の中で正しく物事を見るようにし、すべての悪い事を良いこととして見るようにします。もちろん、この空間の状態を妨害してはならず、意図的にこの世の社会常識に反する悪い事をしてはいけません。自分を修め、あなたが思っている自分の苦痛と感情に対する衝撃、心性に対する妨害などこれらのことをすべて良いことだと思うべきです。あなたは自分のこれらの苦痛、自分の魔難を全部悪いことだと思っていれば、それは即ち常人です。苦しむことは業を償っているのであって、思うようにならないことは心性を高めることができ、常人にとっても実は同じ理です。すべては業を消しているのであって、業を消してから良い来世を得られます。ただ、人間にはそれが分かっていません。修煉の場合、業力を消して、修煉の中で心性が向上し、最後に圓満成就になります。大法弟子にとって、これは最も基本的な法理であり、最も基本的なことです。幾年も過ぎ去りましたが、まだ根本から観念を変えていない人がいます。もう何年修煉したのでしょうか? まだこのように物事を見ることができず、正しく物事を見ることができません。皆さんが私に書いた手紙、報告した問題は私が見て、本当に心苦しく思います。なぜこれほどこの世のことに執着するのでしょうか? 各地の「佛学会」に対する執着も含めて、佛学会は大法弟子が法を実証することに便宜を図るために作られたのです。佛学会はお手本でも師父でもありませんが、この形を大切にすべきです。佛学会は地区の協調をはかり、より良く法を実証することができ、より良く衆生を救い済度することができます。

 現在存在している最大の問題は先ほど私が言ったこの問題でもあり、つまり自分を修めることができず、内に向けて探すことができないということです。師父は乱れることを恐れていません。師父は皆さんよりはっきり見ており、どこかの地区に問題があったら、私に報告する必要はありません。あなたが書いたものはあなたの執着と人心を丸出しにしています。師父は何をしに来たのでしょうか? 師父は心の中で、正しいか正しくないかを最も正確に見ています。ご存知のように、神韻芸術祭で私たちはなぜ純粋な善と純粋な美を表現できたのでしょうか? 一年あまりの訓練を経た子供たちが世界最高水準、一流の世界的な公演を全うできたのは、師父がこの点をしっかり押さえたからです。常人にはできません。師父は法を正しにきたのであって、私のところまで乱れてしまったら、私はどのように法を正すのでしょうか? 私のところのすべては変わることはなく、善悪の判断基準は私のところにあります。あなたの一言、一挙一動、一念、一つの眼差しまで、私は非常に正確にそれが意図することを明らかにすることができます。ただ、師父はこのように行なわないだけであって、皆さんに更なる大きな機会を与えており、人間が修煉の中でこのようなことがありうると分かっているのです。先ほど私が言ったことを含めて、皆さんに警鐘をならしており、修煉の中で歩んできた道を大切にするようにと教えているのです。容易いことではありません。大法弟子の皆さん、皆さんは最も厳しい迫害を乗り越え、この栄光をすでに手にしており、今後、どのように更に良く行なうかだけなのです。

 実は先ほどたくさん話しましたが、足りないところに対してだけを言っています。良く行なったところを言えば、大法弟子は本当に素晴らしく、大法弟子が行なうべきことをこれほど多く行ない、自身を圓満しており、自分の威徳を樹立していると同時に、この世の衆生を救い済度しています。実はこの世の衆生だけではなく、見た目ではここなのですが、もしその生命の背後に宇宙に繋がる厖大な生命群がいれば、これは本当に大きなことになります。そうですね。考えてみれば、もし三界全体がこのことのために造られたのであれば、法を正す中で誰がここの人間になれるのか? 誰がここの生命になれるのか? これは簡単なことではありません。しかし、この世は何と言っても、この世であり、神がたくさん来ても、神の社会状態にはなりません。それはあり得ないことです。このことは随分昔からすでに考慮しました。ここに来た以上、人間の状態でなければならず、だから修めることができ、迷いの中に機会があるのです。ですから、だめになった人もいれば、できる人もおり、これは即ち、この世の状態なのです。

 先ほど私が来たとき、皆さんが神韻芸術団、飛天芸術学院の小弟子のビデオを見ているのを目にしました。実はこれだけではありません。各地区の大法弟子が行なったことは人を感動させ、ただこの世のビデオに記録されていないだけです。しかし、宇宙に皆さんのビデオ記録があります。(拍手) 皆さんが行なったすべての良いことは漏れなく、ビデオに記録されています。本当にビデオです。すべて記録されています。なぜなら、それは皆さんが歩んできた道であり、皆さんの輝きだからです。

 概括的にこのくらいのことを話しました。多くのことに関して、師父はあまり明確に、あまりに多く、あまりに細かく話したくはありません。あることについてまだはっきり認識していない人がいます。私は何回も話しましたが、皆さんが法を実証しているのであって、師父が法を実証しているのではありません。法を実証する中で、皆さんは自分の道を歩んではじめて、自分自身を圓満することができ、自分の威徳を樹立することができるため、必ず皆さん自身で行なわなければなりません。ですから、時には、各プロジェクト、場合によって個人で何かを行なう時さえ師父に「どのように行なえばいいか」と聞いてきます。あなたはこれで威徳を師父に渡してしまいました。私はもちろん、どのように行なうべきかを知っていますが、それを教えてしまうと、あなたは何も得られず、あなたが行なっても私を手伝って行なっていることになり、自分の威徳を打ち立てているのではありません。あなたが行なったすべての威徳は師父のものになります。なぜ皆さんが何かを聞きに来るとき、私は答えたくなく、場合によって皆さんに良い表情も見せないのでしょうか? 私は皆さんに悟らせているからです。自分の道を歩んでください。その機会を失わないでください。なぜこのことが分からないのでしょうか?(師父が笑って) ですから、皆さんはいつも、いつも私に聞いてきます。師父は大法弟子が行なった事を認めています。皆さんが法を実証し、衆生を救い済度するという願いから行なうことは、私はすべて認めるのです。しかも、私の法身にしても、神にしても、あなたが行なってさえいれば、行なったことが更に偉大になり、更に素晴らしくなるようにあなたを助けます。(拍手) 多くの場合、皆さんはこのように物事を見ることができず、困難に遭ったら、師父に聞きに来ます。その困難はまさに皆さんが向上し、威徳を樹立し、輝きを創造するときなのです。話はこのくらいにしましょう。

 

 
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/6/18/180530.html)