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黒龍江省北安市:李雲彪さんは今どこにいるのか


 文/大陸法輪功修煉者

(明慧日本)黒龍江省北安市の法輪功修煉者・李雲彪さんは何回も警官に強制連行され、不法に監禁され、数々の虐待を受けた。2005年、李さんは不法に8年の刑を言い渡され、北安刑務所に監禁された。2006年以来何の音信もない。

 李雲彪さん(50歳男性)は黒龍江省北安市長水河農場第4分場の機械管理者であった。李さんは1997年に法輪功の修煉を始めた。

 1999年7・20以降、李さんは北京へ行き法輪功の真相を伝えたところ、警官に強制連行され、不法に黒龍江省綏化労働教養所に監禁され、残酷な虐待を受けた。李さんは警官に殴られて脳水腫となり、前歯が抜け落ちた。その後、長水河農場に連れ戻され、長期に亘り第4分場の当直室に監禁された。李さんは何回も断食で迫害に抗議した。

 母親は李さんのことでとても大きな打激を受け、高圧血症や脳血栓を患い、半身不随になって寝たきりになり、自力で生活ができなくなった。

 大雪が降っていたある日、李さんは看守が寝ている隙に監房から脱出することができた。李さんは単衣でその夜すぐ山を越えて、大慶にある弟の家に行った。現地の公安局はこの情報を手に入れ、翌日大慶に行き再び李さんを強制連行した。今度は現地公安局の小号(拷問用のごく狭い部屋)に監禁した。小号は鉄の籠のように、とても冷たかった。警官はわざとドアを開けて、冷たい風が部屋に入るようにした。李さんは幾度も虐待を受け、極度に衰弱しやせて骨と皮ばかりになった。

 警官は李さんが公安局で死亡することを恐れ、病院に送り、その後北安農場局の病院に転院させた。診断の結果は肋膜炎、肝臓に水がたまり、肺結核を患っていて、胸部からお腹までは大きなたらいのように腫れて、抜き出した腹水は緑色の膿汁だった。危篤状態に陥っており、医師は「李さんは治らないから、家族に後のことを準備するように告げてください」と言った。

 大連と上海に住んでいる姉たちもみなやって来た。親友らはこれほど良い人が、こんなに迫害されたことに悲憤を覚え、李さんの健康を心配し、心を尽くして看病した。李さんは大法を堅く信じていたため、生き返った。身体は毎日好転し、数カ月後には自力で生活できるようになった。病院には毎日出入りする人が多く、李さんは人々に法輪功の真相を伝え、世の人々を救い済度した。しかし警官は逆に昼夜交替で監視していた。その後、李さんは病院の後ろの部屋に監禁され、ドアには鍵を掛けられ、外界との接触を断れた。李さんの心の中にはただ一つの念、状況が良くないから、自分はここを離れなければならないという思いがあった。当時李さんが監禁されていた場所を同修が調べて分かり、その部屋の窓の所にやって来て、脱出方法を相談し合った。そして、ある土曜日、李さんは脱出に成功し、また真相を伝え、衆生を救い、済度する流れの中に飛び込んだ。

 2002年、李さんが北安にいたとき、家ごとに捜査していた警官に連れて行かれ、その後身分が分かってしまったため、不法に北安刑務所に監禁された。その後現地の公安局に送られた。李さんは断食で迫害に抗議し、危篤状態に陥ったが、重病のための一時出所が許可されるまで抗議を続けた。姉は李さんを大連に迎えに行った。李さんは身体が回復すると、また北京などへ行き大法を実証し、真相を伝え、衆生を救い済度した。

 2005年5月、李さんは北安長水河に戻ってきた。李さんは故郷の人々にたくさんの『九評共産党』を持ち帰り、故郷の同修と共に『九評共産党』を広め、三退を薦めた。李さんは自転車で50Kgの『九評共産党』と真相資料を運ぶ際に、不幸にも長水河第2分場で現地の警官に止められ、強制連行された。2005年8月、不法に8年の重刑を言い渡されて、北安刑務所に監禁された。

 明慧ネット2006年10月11日の報道によると、不法に8年の刑を言い渡された黒龍江省北安市の法輪功修煉者・李雲彪さんは、わずか一年の間に、北安刑務所で迫害されて、きわめて衰弱し、北安刑務所病院に運ばれたという。

 それ以後、北安市の法輪功修煉者・李雲彪さんの音信は断れ、状況は全く不明である。

 2008年6月26日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/6/25/180903.html