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黒龍江省女子刑務所:胡愛雲さんは絶食して迫害に抗議、すでに3カ月経過

(明慧日本)ハルピンの法輪功修煉者・胡愛雲(41歳)さんは3カ月前から、黒龍江省女子刑務所で受けている不法な監禁、虐待、迫害などに対し、絶食して抗議している。その間、胡さんは、さらに管により強制的に食物注入(灌食)されるなどの迫害を受けたため、体調が悪化し続けており、状況は酷くなる一方である。

 胡さんが邪悪の行為を暴露したため、2003年、指名手配された後に逮捕され、11年の実刑判決を言い渡され、ハルピン女子刑務所に入れられた。この4年間、胡さんは小号(拷問用のごく狭い部屋)に監禁された日が多く、心身ともに大きな迫害を受けた。家族が行っても十中八九面会すらできない状態である。2008年2月24日、家族が再び訪れたとき、警察はまたもや面会をさせず、しかも胡さんが警官に従わず、絶食などの行為を行っているため、病院にも行かせないと明言した。

 胡さんは修煉前までは持病の心臓病がひどく、たびたびショックを起こしていた。そのためあまり優しくはなかった。1997年に法輪功の修煉を始めてから、まるで人が変わったかのように元気になり、優しくなった。

 1999年7.20以後、胡さんは4回、北京まで陳情に行き、何度も不法な監禁、労働教養、非人道的な虐待などにあった。北京で強制連行された後、まず立つことも、しゃがむこともできない小さな鉄の籠に入れられ、トイレにも行けなかった。夜になると、胡さんは部屋に入ることも許されず一晩中、蚊に刺され続けた結果、全身腫れ上がった。このような迫害は40日以上続いたという。

 2001年、胡さんが不法に労働教養2年を言い渡され、万家労働教養所に監禁されるようになった。そこで、またさまざまな残酷な拷問を受けることになった。長期間にわたる迫害や重労働で、胡さんの皮膚に疥癬(かいせん)が大量にできた。警官が強制的にその疥癬を削り取ることにした。耐え難い痛みが胡さんを襲った。その後、胡さんは絶食して抗議したが、強制的に灌食されたりしていたようだ。2年後、胡さんはやっと釈放された。

 しかし、2003年6月20日、胡さんは3人の修煉者と共にハルピン市警察に不法逮捕された。4人はマスクのようなもので目隠しされ、名も知らない小さな2階で迫害された。警官・趙光をはじめとする数人が12時間以上にわたり、修煉者たちを殴打したり、スタンガンで電撃したりなど虐待した時、叫び声は部屋の外まで聞こえたという。胡さんはその後、警察署で監禁されるようになった。

 その後、不法な裁判で実刑11年の判決が出された。胡さんは2004年4月12日、黒竜江女子刑務所に移送された。その後、囚人服を着なかったため「小号」に監禁されるようになった。その部屋は暗くて、湿っぽく、布団すらなかった。手錠をかけられているため、横になることも許されず、よく警官やほかの受刑者たちに殴打されていたという。

 10月10日、やっと「小号」から出たものの2005年1月13日に再び入れられた。そこで、胡さんは絶食して1カ月あまり抗議を続けた。7月19日にそこから出て半年ほど経った2006年2月17日にまた煉功したため、「小号」に監禁されるようになった。胡さんが再び絶食で抗議し続けた。7月12日にやっとそこから出ることになった。

 2006年9月27日、胡さんは法輪功修煉者を専門的に監禁、迫害する監区に移送された。9人の受刑者が一人の法輪功修煉者を監視し、夜中の2時過ぎまで法輪功を侮辱するでたらめのビデオを見せて、洗脳しようとした。また、修煉者に睡眠をとらせない、ののしることや、殴打するなどの迫害は頻繁に行われていた。

 2006年12月27日、胡さんは再びほかの監区に移された。その後3日間、きつく縛られたこともあったという。また、胡さんがどこに行っても常にほかの受刑者が尾行しており、まったく行動の自由がない。

 胡さんは何度も絶食で迫害に抗議した。2008年3月、再度不法な迫害に抗議するため、絶食を始めた。家族が何とか面会できた時には、胡さんはすでに衰弱しており、自力で歩くこともできず、数人に抱えられて、面会室にたどり着いた状態である。今回の絶食はもうすでに3カ月が経過している。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年6月27日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/6/22/180708.html