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師父の説法を引用することに慎むべき


文/大法弟子

(明慧日本) 明慧ネットに掲載した同修の交流文を読んで、その文は師父の説法を引用する時に字の添削或いは違う字を使ったり(明慧ラジオから放送した『明慧週刊』を間違って師父の説法を読んだことがある)、甚だしきに至ってはまた自分で勝手に句読を入れたりすることもあるのに気付いた。たとえば新版の『洪吟』の中に師父が書かれた詩の中は文章記号がないが、しかし同修は引用の時に自分で足してしまった。師父の説法に対して私達は慎み、尊敬するべきで、自分の当て推量で添削してはいけません,いかなる内容を足しても、何らかに関わらず少しの添削もしてはいけません、改正したらまだ師父の説法と言えるのでしょうか?

 これらの事が出て、その結果、教訓などについて、師父はかつて何回も警告を出したことがある、弟子としてきっと先生の警示を聞いて、勝手なことをしません。師父の説法を引用する時に、確定できなければしないで、直接体得をした方がいいのです。もし引用したければ慎むべきで、繰り返し検査して過ちがなくなるまで続け、これに対して油断してはいけません。実は、角度を替えて言うと、気の向くままに師父の説法を改竄したら法を乱すのではないでしょうか?!大法の純潔、純粋なことを守るのは永遠に弟子としての神聖な職責です。

 【編集者:師父の説法を引用する時に私達は勝手に省略記号でいくつか文字を省略することはできない。その他に、引用句の終わりに使ったその文章記号をも引用すべきで、その後まだ引用符号を加えます。】

 2008年6月30日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/6/21/180642.html