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私のためのものが多すぎる

—修煉の悟り

(明慧日本)昨日、同修との交流の中で自分にはまだ気が付いていない執着心がたくさんあることが分かりました。甚だしきに至っては自分の中でごく自然になっていてそれを本当の自分と見なしているのもありました。今日はこれらの執着を暴露して、皆さんの参考になればと思います。

 私にはまずとても頑固な恐れる心があります。何もかも恐れていて、迫害されるのも、苦労するのも、上司に重視されないのも、他人に軽蔑されるのも、仕事を失うことや個人の利益が損をするのも、他人にうわさを言われるのも、家族に大法を修煉することを反対されるのも、人間関係がうまくいかないのも、けがをするのも、蜘蛛やムカデなどの小さい虫まで恐れています。

 このたくさんの恐れる心は全部私を守るために存在していて、あまりたくさんあることに自分でもびっくりしました。ほかに、同修に何か手伝いを頼んだとき、全体で何かやりたいことがあるとき、まず面倒ではないか、自分にやれるかをまず考えてしまい、家庭のことまでも面倒であればやりたくないという気持ちがまず浮かんで、本当に汚い心です。

 もう一つ強く感じている執着は、仕事やら何やら、いつもつまらなく、寂しい、やりたくない気持ちが生じてきて、激しいときは刺激を求める心もあります。こう言ったらつまらないということも一種の物質の存在であり、だんだんと人を怠けさせ、麻痺させ精進できなくなり、修煉者の意志を壊すものであり、それが生じてきたら直ちに否定すべきで、すぐにほかの意味のあることを探してやったほうがいいと思います。

 師父は『転法輪』<第一講>の中にこう説いておられます。「さらに苦しみに耐えることなどなど、多くのものを含んでいます。人の心性の各方面を全面的に向上させて、はじめて本当に上昇することができます」。苦を嘗めることができないことは本当に間違っていて、それは一つの漏れではないでしょうか。覚者は仕事の苦労、煉功の苦労に耐えられなかったら、それはいけないことでしょう。

 宇宙の生命に対して、最も意義のある、最大の使命は大法を実証することだと思います、大法を円容し、保護するためには、命を失っても惜しくない、最も偉大な殊勝なことだと思っています。

 大法弟子として三つの事は法を実証することであり、常人の仕事をよくこなし、家庭、同僚、友人との関係をよくするのも法を円容することであり、回りの何もかも軽く見てはならず、よくできるのもその分の意義があると思います。自分の意識の中でまずよくその重要性を理解してから、更に精進することです。大法はすべてを見通し、包容していて、しかも円容不敗であるので、本当に法の要求に基づいて行動しなければならないと思います。

 個人的によく修煉できている人は自分のささやかな執着までも分かると思います。修煉は他でもなく、この心にあるからです。

 私たちがすべてをよくできるよう、師父の慈悲なる済度と期待に応えることができるよう、真に修煉しましょう。

 2008年7月28日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/21/182401.html